今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

嫌な人がいなくなる

 人間関係で嫌だと感じる人がいる。その人から学ぶことが無くなると、相手が異動になったり、退職したり、目の前から居なくなるといいます。その様なご経験がある方もいらっしゃると思います。

 

 春は異動シーズン。職場で、嫌だなと思う人が複数いなくなることに気が付きました。

 

 私が最初に書いた「その人から学ぶことが無くなると相手がいなくなる」ならば、私はその嫌な人たちから何を学んだのだろう。

 

 その中の一人はアピール女王。仕事はできる人です。ですが、体調不良が続き、毎日のように病院に行く、具合が悪いと連絡が入るのは、直接業務のつながりが無くてもその文字を読むのは負担な時もありました。

 

 その割には他人と協力しながら進めている仕事も、あくまで自分の実績のようにアピールする。そういう見せ方が良く言えば上手、悪く言えば嫌らしいところがあります。

 

 具合が悪そうでまだ心配していたころ、体調を気遣うこと場を掛けてしまいました。その声を掛けてしまったシチュエーションが良くなかったと自分が感じたため、素直に謝りました。そうしたら、「○○さんは真面目だから。そんなこと気にしないでください」と言われました。

 

 彼女なりに私に気を遣っていってくれた言葉だったのでしょう。人の前で具合が悪いことを話しかけられたくないのなら、その理由について、「いつも休んで迷惑かけているから近くの人には伝える。だけど、それ以上の人には言わないでほしい」という前段がありました。今思えば、彼女も必死だったのかもしれませんが、何で周りの人がそれを隠す等の心労を担う必要があったのかとも思います。

 

 そんなかんだしているうちに、ビジネス面で彼女の仕事の進め方に?と思うことがありました。私は黙って見ていました。こういうときに困るのは弱い立場の方。その弱い立場の人たちに対して、「(弱い立場の人たちの)○○がうまくないから、ダメなんじゃん」とか言っていました。それを聴いたときに、この人自分を何様だと思っているのだろう感じました。そしてその人は私の中ではダメな人の分類に入りました。

 

 数か月前から以前のように心配しようと寄り添う気持ちもなくなっていました。極めつけの何様発言を見て、関心を持つ必要もないと感じました。

 

 期待しない。期待していたのかな、こうあってほしいと。だけど、期待はしない。周りに期待しても仕方がないということを学んだのかもしれない。

タイミング

 この週末は暖かい、まるで春を通り越して初夏のような陽気でした。その日私はその日でないとできない予定があり、指定された場所に出かけました。出かけた先は、生前の叔父が勤めていたビルの隣のビルでした。

 

 叔父は個人経営をしていました。経営していた場所を訪ねると、そこは空室のままでした。お昼ご飯はその叔父と尋ねたことがあったレストランで弔いのランチをしました。

 

 その指定された場所が叔父の働いていたビルの近くでなければ尋ねることもなかったと思います。気持ちの中で叔父を思い出し、叔父と尋ねた場所で叔父を思い出したことは供養になったと思います。

 

 仲の良い友人に会いたいと思っていたら、その友人から連絡がありました。その友人は現在違うエリアに住んでいます。私はできれば3月中に、弾丸であったとしてもそのエリアを訪ねたいと思っていました。お参りした神社のお守りをお返しに上がりたいと考えていました。しかし、先週崩した体調から、弾丸で行くのはなんとなく不安があります。また、そのエリアを訪ねた際には、その友人にも会いたいと思っていました。

 

 そうしたらその友人は今こちらに来ているそうで、会える?との連絡。若干の予定のやりくりが必要でしたが、私はいま彼女に会いたいと思いました。そのエリアにお守りをお返しに上がるのは、郵送でもできるし、時期を改めてもいい。ここでもしかすると、もしかしたら、もう少しお守りを持っていた方がいいという神さまからのメッセージなのかもしれない。

 

 仲の良い友人に会うことを決めたら、もう一人3月中にあっておきたい人がいました。その方からもお声がけを頂いていたのですが、この弾丸で旅行をしようと思っていた時だったので、見送りました。連絡を取ってみたら、予定は大丈夫とのこと。こちらもあっておくお導きなのだと思います。

 

 多分私は今、自分を活きる基盤づくりの最終段階と感じています。あとは決める。自分の正直な気持ちを探って叶えることを決める。叶える自分を決めることなのか、自分の正直な気持ちを探ることが先なのかわからないけれど、両方から攻めていく。そう決め続ける。そして、方向性を決める。そうすればもう、その道に進むことは決まる。だからその方向性、自分が心地よい在り方をじっくり見つける。叔父を供養したことは、ご先祖様への感謝が必要なことを思い出した。そして今会うことが決まった人は私にヒントをくれる。1日1日、毎日を大切に過ごす。

最後のオンライン・スクーリング

 1月中旬に通信制大学、最後のオンラン・スクーリングがありました。もう2か月も経ってしまいました。

 

 土日ともに朝から晩まで、ほぼ通常の勤務時間と同じ幅でズームで授業を受けます。授業の形式は、先生が説明するだけのもの、ズームのチャット機能を使いながら、受講生も反応や書き込みをしながら参加するもの。ブレイクアウトルームといって、5〜6名のグループに分かれグループごとに分かれてグループワーク(課題について話し合ったり、意見交換したり)するもの等様々です。

 

 同じ科目も複数の先生が教えているので、どの先生の授業を取るかも重要です。(合う、合わないがあります)

 

 最後に受講した先生は、通っている大学の通学過程の教授を務める心理学の先生でした。1年前にリアルでのスクーリングをうけ、例え話や説明がとてもわかりやすく、卒業する前にもう一度この先生の授業を受けたいと考えていました。

 

 先生も通学の学生と主に働きながら学ぶ社会人が多い通信の学生に対しては、実際の仕事で役に立つよう実学を伝えようと、おそらくシラバス(この科目ではこの項目を学ぶときまっているもの)の範囲以上に実学で学びそうな知識を盛り込んでくださっていました。

 

 大満足でした。情報を盛り込みすぎている感は否めませんでしたが、エッセンスをまとめてくださっているので、ところところで「へー」って思うことがありました。表情も学びそれがとても勉強になりました。

 

 最後のオンライン・スクーリングから早2ヶ月、卒業研究が終わって早1ヶ月。振り返ると、土日の2日間集中して、自宅のパソコンに向かって授業を受けていたということは、すごいことだと思います。

 

 今思えば、オンラインスクーリングの時は、1日目の課題、オンラインスクーリングが終わってからの試験もあります。良くやってきたなぁ。。。

 

 編入したての頃は、2日間オンラインでスクーリングを受けたらヘトヘトになっていました。振り返れば、3年前期は何がなんだかよくわからないけれどチャレンジして、3年後期は、ゼミに入り卒業研究の前半戦を経験し、ここで、勉強と仕事を両立するコツだったり、集中力の維持等がわかってきたように思います。

 

 4年の前期は科目修得試験とオンラインスクーリングでかなりやりくりが大変でした。4年後期は卒業研究とオンラインスクーリング中心の学びでしたが、4年は3年よりも勉強したし、勉強のコツも話わかるようになりました。

 

 また、先生方もたったの2日でそれもオンラインで授業をするって大変だったんだろうなと思います。オンラインスクーリングの場合、受講者はカメラはオンになっています。しかし、マイクはオンになっていません。授業中に画面を見ている(顔をあげている)人もいれば、メモを取っている(下を向いている)人も画面越しには見えるけれど、温度感がわからないでしょう。

 

 最後のオンライン・スクーリングは、納得の成績がとれました。自分なりには有終の美を飾れました。もう、この後この経験ができないと思うと寂しいですが、そのときどきを楽しみ取り組む経験ができて本当に良かったです。


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