過去を振り返ると似たようなできごとがあり振り返っています。長くなるので分割しています。(後段に今までの記事へのリンクがあります)
その翌年私は異動になり、その仕事を離れることになりました。部長に嫌われたことが大きな要因だと思います。
奇しくも今の働く環境で、仕事を覚えるフェイズの人が私が教えたことをスルーし、やり方を変えようとしたことからこのできことを思い出しました。
当時、周りは個性的で変わった人たちだったと思います。しかし似たようなできごとが起き、私が引っ掛かかりを感じるということは、このできごとには私が生きやすくなるヒントがあるのだと思います。辛くても向き合って乗り越えるときがきました。
ここからは、反省点、私がいたらなかった点を振り返っていきます。
1つ目は「私は正しい、相手は正しくない」と信じきていたこと
周りはA子さんが仕事ができないことも、先輩が子育て中で定時で帰ることも許していて彼女たちは居場所を得ました。なぜ、仕事を一番わかっている私が居場所を無くす(異動する)ことになるのか。私は異動後も周りにいた人たちに怒りを持ち続け、腑に落ちないし理不尽な気持ちでいっぱいでした。
自分が仕事が一番わかっているなかで、「教えなければいけない。」また、「自分が進めてきた仕事が正解」という気持ちもあったと思います。
私は仕事の責任感や使命感から周りの人たちがいたらない(と私の主観で感じた)部分を自ら抱え込み頑張り続けました。一人で抱えこみ、仕事はそれで完結したかもしれません。しかし、チームとしては、私からシャッターを下ろし、チームで仕事をすることから離れていったのだと思います。
周りがA子さんを許している中で、私がA子さんに仕事を教えようと厳しく注意をしても、私にとって良いことはありませんでした。
私はA子さんのことを説明したことや役割として求められていることが理解できない理解力に欠ける人だと感じました。そして、教えたことを身につけようとせず、自分が好きなことばかりやろうとする態度に怒りを覚えました。
私は周りに認めてもらうために、やりたい仕事を手に入れるために、苦手なことでも一生懸命取り組み、努力しているのになぜA子さんはそれをやろうとしない。それもできないのにこの仕事をやるの?と本当に思っていました。
A子さんが仕事ができるかどうかはA子さんの問題。私の問題ではありません。A子さんが仕事をできないことを自分の問題ととらえ、A子さんを批判する気持ちで一杯でした。
(つづく)