昨夜は東日本大震災ことを思い出しました。
東日本大震災のボランティアは、回数で言えば10回程度行きました。勤務先としてのボランティア活動もありましたが、市町村や団体等のボランティアにも参加しました。
それぞれの活動に思いがありますが、昨夜最も思い出したのは、2011年6月くらいに、原発事故で被災された方々が仮設住宅に住むまでに一時居住していた場所お会いした方たちでした。
ボランティアの内容は一時避難されている方たちとお話をしたり、一緒に出掛けたり、お給仕のお手伝い等をするものでした。
二組思い出しました。一組は、ご家族で被災された4人家族、お父さん、お母さん、お姉さん(小学生)と妹さん(幼稚園に行くか行かないかくらい)。お父さんは仕事中で、私はお子さん二人と遊ぶことでした。その間お母さんはお休みされます。
私が行くと姉妹は「一緒に遊ぼう」と折り紙やお絵描き、追いかけっこをしました。お子さんたちが描く、作るものに質問しながらお話をしました。お姉さんはもう空気を読む感じで、自分たちが被災して一時的に身を寄せていることに気を使っている感じでした。妹さんは一時居住している以外の人が来たことが目新しいようで、遊び相手ができてうれしそうでした。
別れ際に3人で写真を撮りました。妹さんが私に一緒につくった折り紙をプレゼントしてくれました。その折り紙は捨てられず、今でも持っています。写真を見返すと、お姉さんと妹さんともに笑っていません。悲しさ寂しさ、辛さが表情にあふれているのです。
もう一組は、お母さまをなくされた初老の男性、お母さまのご遺骨と一緒に暮らしていました。世話好きそうな叔母さまが「その初老の男性はあまり話さないから、話さなくても気にしないように」と教えてくれました。
私が談話室で世話好きそうな叔母さまとお話をしているといろいろな方が集まってきて、その初老の男性もお見えになりました。私があいさつをするとその方は、私と目を合わせる前に一度目をそらし、首を横に振るようにこちらを見て様子をうかがっていらっしゃいました。その目はとてもおびえていて、言葉にならない辛い経験をされ、いたみをかかえていらっしゃることが伝わってくるものでした。
数日間ですが、何度かお会いする機会があり、私がお給仕のお手伝いをしているとき等は笑顔を見せてくださることもありました。誰に対しても基本は目を合わせる前に一度目をそらし、首を横に振り、相手の様子をうかがっていらっしゃいました。
昨夜は特に初老の男性のことをとても思い出しました。それは初老の男性が「東日本大震災のこと、原発事故のこと、被災している人たちのことを忘れないで」とおっしゃっているかのように感じました。