2022年年始に「自分がありたい方向性」を定めました。それは、「働くために生きている」から「自分の人生を生きる」こと。シフトチェンジに向けて「私(プライベート)・個(個人)」で「自分の人生を生きる」ために心がけたいことを22個掲げました。それぞれが関連しているので似たような内容となりますが、ひとつずつ掘り下げています。
(心がけたい22個はこちら)pleasantbreeze.hatenablog.com
⑬回目は「自分が心地よい方向を選択する」です。
上司と再度話を、アドバイザーとして関与している仕事を離れることが決まりました。
ここ数日食欲も落ち、今朝も食欲がありません。とりあえず口に入れて、出社後は何度もお手洗いに行きました。緊張していました。
私がアドバイザーとして大きく4つの業務の中で、うち1つはこれから構築することでした。その業務は自分の知見を活かせる、関与したい気持ちがありました。
前回のミーティングで上司にその思いを伝えたととろ、「これから構築する業務に携わることは、これからもその業務を続けていくこと(数年単位)、それに4つのうち1つのみ関わっても、すべてが連動しているから、巻き込まれて、離れられないと思う」と言われ、納得しました。
(伝えるにあたって気持ちの整理はこちら)
上司に気持ちを伝えた後、すーっと気持ちが楽になり、自分が主に担当していた時の熱い思いと寂しさ、感謝の気持ちが同時にこみあげてきました。「このことから学ぶことが終わり、離れるときがきた」と理屈ではなく直感で感じました。
そして、なんだかんだ言っても仕事を覚えるフェイズの人、その人に積極的に教えない指導者、上司との間にやっとチームワークのようなものが生まれ始めていたのです。そのことにも感謝の気持ちでいっぱいになりました。
私が学んだこと
私自身が残業をしない引け目を感じていたことから、仕事を覚えるフェイズの人の生意気な態度を真に受け、自分が足りないと感じていました。その思いが、彼らとの間の壁、もしかしたらその思い以外、壁はなかったのかもしれません。
自分が至らないからという思いから、彼らに十分に助けられていることを受け取ることの怖さがあった。同時に自分も周りを助けているのに、自分は至らないと思い続けていた。
バランスを崩し残業をしない働き方をしている自分を守るために、その業務にモチベーションを保つこともできなかった(しなかった)のかもしれません。
私は今は自分のことで精いっぱいであることも受け入れられました。私が悩んだように、仕事を覚えるフェイズの人も、積極的に教えない指導者も、上司もその人それぞれの立場で悩み、苦しんでいたのかもしれません。その人の課題を乗り越えようとしていたのかもしれません。
私は自分に適性がある仕事を手放すことになりました。その不安もありました。
先の不安のために今我慢をし続けていたら、いずれ限界を迎えます。それをしなかった。
「私のために配慮してくれたのだから、合わせなければいけない」
「私が気の持ちようを変えれば、いいのかもしれない」
「私が我慢して、大人になればいいのかもしれない」
「私が頑張らなければいけない」
という選択をしませんでした。
今の自分の状況を受け入れる。自分を許す。自分軸で、自分の気持ちが楽になる、心地よい方向を選択しました。
他にも今回のことから学ぶことがあったのだと思います。おいおい振り返りたいと思います。
最後は周りへの感謝の気持ちと私が熱い思いでやりきった仕事を次の世代でより昇華してほしいと、バトンタッチをします。