今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

目に見えているものはほんの一部にすぎない


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 今日は4月1日、新年度の始まりの日です。

 

 今までアドバイザーとして関与していた仕事について、正式に私がアドバイザーを解任されることを上司が仕事を覚えるフェイズの人、その人に積極的に仕事を教えない指導者にやっと話してくれました。

 

 その前にお取引先とのミーティングがあり、その方たちへ伝達するのは次回なりましたが、今日で無事解任、スッキリ、スーっとした気持ちです。帰り道に自分に「おつかれさまでした。よく頑張りました」とエールを送りました。

 

 上司は「今までいろいろと助言をいただいてきたけれど、今後は別の業務についてもらうことになったから」と私に一定の気遣いを交えながら話していました。私からも「今までありがとう。あとはよろしくね!」だけにしようかと思いましたが、その前にお取引先とのミーティングで彼らが放置していた問題があったので「相手に気持ちよく仕事をしてもらうにはどうしたらいいか、自分に何ができるか。どうしたら目的を達成できるか、よく考えて」と具体策も伝えましたが、言わんとすることは通じていない、響いていないことがわかりました。

 

 彼らから私へのねぎらいの言葉はありませんでした。その言葉を期待していたわけではありませんが、私であれば一言「おつかれさまでした。ありがとう」位はいうと思う。私は悩み苦しみましたが、良い意味で「他人の関心や他人の期待はそれくらいのもの」と勉強になりました。仕事の責任感からこんなことを悩むなんて本当にもったいないですね。

 

 私はこれまでの経験から業務に精通しており、全体感と物事の難易度を考えた時に、業務量も多く、難易度が高い項目だと感じています。何度もその発言をしてきましたが、軽くとらえられてきました。

 

 物事を深く考えても、浅く考えても、成果物はできます。ですがその成果物には雲泥の差が生まれます。軸があるもの、ないもの。使い勝手が良いもの、悪いもの。何を目的に、何を大切にするか。それがふわっとしていれば、そのままふわっとしたものができます。

 

 「目に見えているものはほんの一部にすぎない。深化することで見えるモノがある。」また、同じ言葉でも別の捉え方があって、私が見えている世界も、彼らが見えている世界も全体の中でのほんの一部にすぎない。どちらが良い悪いではなく、何を目的として、何を大切にするか。そのために何が必要かを幅広い視座でみること、他人の話を聴き自分に固執しないことで見えるモノがある。

 

今日をもってこの業務は完了、手放しました。

 

 今日は新年度、新しいスタート。新しいステージへ。私は「2022年に心がけたいこと22」に定めた通り、「働くために生きている」から「自分の人生を生きる」生活にシフトチェンジしていっています。働き方を見直すことがベースエンジンとなり、「個・私」の幅を広げていきます。

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