長年携わっていた仕事を離れることになり、実態とともに頭の中も急速に離れていっています。
私が長年携わった1人でやってきた仕事を引き継いだときの後任は二人、休職中の後任と仕事を覚えるフェイズの人でした。私自身も休職中の後任が主体的に業務を動かしていくのであれば徐々に軌道に乗っていくと考えていました。
上司は仕事を覚えるフェイズの人が「できる」といいます。そのうえで「失敗したときは自分が謝りに行けば良い」と言っていました。加えて、上司は仕事を覚えるフェイズの人と積極的に指導をしない指導者の二人で業務が「できる」といいます。
この「できる」という言葉がずっと引っかかっていました。
「できる」という言葉に対する認識に差がある。同じ言葉に対するレベル感に差があるのです。
人により捉え方、感じ方が異なるのは当たり前。ですが、会社の仕事であれば、目標とそのレベル感は同認識であることが重要。アプローチは異なるかもしれないけれど、目標のレベル感が異なっていたら、達成できる内容に差が生まれます。
目標や課題認識のレベル感がことなっていたら、目標も設定も評価もできないはず。
例えば、植木鉢でミニトマトを育てているとします。トマトの色味が良くない場合、どのような対策がとれるか。対策は問題に対する打ち手になります。
目に見える範囲で、枯れた葉がある。枯れた葉をとることで改善されるならば、葉をむしることをすれば改善される。日照が足りないなら、日当たりの良い場所に植木鉢を移動させることで改善される。
ですが、問題は上記ではなく実は土に栄養がないことが原因だったら、土を変えなければよくならない。発育しすぎて根が弱っているなら、プランターに移し替える必要があるのかもしれない。
目に見える現象は問題の一部にすぎない。
ミニトマトの例は目に見える問題をわかりやすく伝え得るための例で育成方法は実際には異なると思います。
仮に私が経験から見える課題が、プランターへの移し替えだったとします。仮にそれが真の課題だった場合、目に見える範囲だけで判断したら、表面の課題しか見えないことになるのです。ミニトマトの鉢を日当たりの良い場所に移せば一時的には色は改善されるかもしれません。ですが、プランターに移し替えない限り問題は解決しません。話が噛み合わないのは当然です。
リーダーが問題にどのような認識をするか。どのように対処をするか。それにより、仕事の目標、成果、達成具合も変わってきます。
やりきった仕事から離れた今、言葉に対するレベル感、認識の差を、怒り等の感情なく、こういうことだったのかと受け止めることができました。
働くうえでは自分のレベル感より、組織・環境の課題感が正なのだと思います。環境に応じた「言葉に対するレベル感」を忘れないようにしたい。