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言葉に対する感覚②~理解の度合い~


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 「あの話、AとBをくっつけるんだけど、それってCを確認すればいいんだっけ?」と質問されました。私にしてみると、何がききたいのか、なぜCが出てくるのか、Cで何を確認しようとしているのかさっぱりわかりません。

 

 「なぜCが出てくるのですか?」と聞くと「AとBをくっつけるのに、BはCだとおもうんだけど、それでいいのかわからない」といいます。

 

 質問をしながら話をきいていくと「AのなかにBを取り込みたい。Bに関する決まりはCでいいの?C以外にも何か決まりはあるの?」ということでした。

 

 私は物事を全体でとらえて各論を考えるタイプ、ご質問をしてきた方は各論から全体を考えるタイプなのだと思います。モノの見方の良し悪しではありません。

 

 この質問をしてきた方に、私が見えたフレームで質問の主旨を聞いていったら「そういうこと」と言っていました。私はその様子から、この人はこの質問の背景や目的がわからずに質問している。何を解決したいのわからないまま聞いてきている。と感じました。

 

 本当はわかっていて、説明をするのが面倒だったのかもしれません。ですが、この質問の仕方では、相手には伝わらず、自分が知りたいことを確認することはできないだろうと感じました。

 

 こういう人は、質問に対して、予測していることと違う回答が来ると受けとめようとしません。加えて、回答以外に助言をしようものなら、そんな事は聞いていないと受け流してきます。私は自分がわかる情報を伝えたうえで、聞きたいであろう主旨の情報をもっていなかったので、Dに確認をした方がいいと伝えました。が、その確認はしていませんでした。

 

 人が話す言葉は、その人が見えている世界や理解度を表していると感じます。ものを深く見ている人の言葉には、重みと説得力がある。ものを浅く表面を見ている人の言葉は軽く印象に残らない。モノを理解していない状態は相手にもそのまま伝わります。

 

 「何がわからないのかも、わからない」ことに気づかずに、わかっている気になっているのは良くないと思います。

 

  「何がわからないのかも、わからない」それは誰にもあります。恥ずかしいことではありません。「何がわからないのかも、わからない」ことに正直に、「何がわからないのかも、わからないのだけど教えてほしい」といえばいい話です。

 

 言葉からはいろいろな情報が伝わってきます。理解できないことは理解できないから教えてほしい。また質問をするときは自分がわかる範囲で整理し、わかりやすく質問したいと感じました。


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