わたしの悪いところ、「変な人]と切り捨てるところ。
相手と考えが違うと、「この人、ヘン!」とイラっとした後に自分からシャッターを降ろすところがあります。人によってはそういう時「つっこみ」をして場を和ませことができる人もいます。私はその「受け流す」ことがとても苦手です。
価値判断基準が同じ人はいない。誰しも自分の基準で判断する。その時に、自分にとって嫌な人であったとしても、「変な人」と引くのではなく、「この人なりの何かがある」と一息ついてみるだけでもずいぶん違うのかもしれない。
気持ちだけでもそのように思えたら、相手にもそれが伝わるのでしょう。私のように「変な人」と思って、無言になるのはノンバーバル(非言語)で伝わってしまうのかもしれません。
そういう人に対して、「なんでこの人こんなに変なんだろう」と興味が持てたらいいと思うのですが、なかなかできません。自分の中でそういう人に出会ったときに、切り捨てたいと感じる何かが心の中にあるのだと思います。
「自分の感覚だけで判断しない、この人なりの何かがある。自分の感覚とことなるけれど、そこはこういう人。違う人は変な人だけど、その人なりの世界がある。」
なるべく、そういう視点を持つようになってからは、「ふーん、そうなんだ」と一度受け止めたうえでの無言にはなってきたと思う。それ以上の色は付けずに「変な人」って思って放置することはできるようになってきた。
先一昨日、一昨日に書いた「理解に苦しむ」3人のことは、まさに私とは異なる価値観を持つ人たち。私にとっては「へんてこりん」な人たちです。世の中にはそういう「へんてこりん」な人たちがいると味わえばいいと。信頼できる方が私に言ってくださいました。それに気づく練習として彼らは私の目の前にいるのだろう。
「切り捨てる」ことに対して、面白い話を聞きました。上記とは異なる話です。
「仕事をしていて巡り合う人の中には嫌な人がたくさんいる。若いころは嫌な人と切り捨てていた。だけど、なぜかその嫌な人を通じて知り合う人に良い人がいることに気がついた。それからは嫌な人であっても切り捨てることはしなくなった」
仕事の世界では、確かに嫌な人を通じて出会う人たちには、嫌な人からは想像をつかない人があらわれる場合もある。
「切り捨てない」である程度接してみることは人脈の可能性として、自分へのメリットに通じると感じました。