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情けは人のためならず


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  「情けは人のためならず」という有名なことわざがあります。この題名でブログを書こうと思い、意味を調べたところ、言葉の意味を誤って解釈をしていることに初めて気がつきました。

 

 「情けは人のためならず」の意味を「人(他人)に情けをかけることは、人(他人)のためにならない。」と思っていました。

 

 正しい解釈は、「人に対して情けをかけることは、やがて自分に返ってくるということが正しい意味でした。

 

www.bunka.go.jp

 

 「人(他人)に情けをかけることは、人(他人)のためにならない。」という風に思われている方も多いのではないでしょうか。

 

 このことわざとしての意味とすることは、正しい解釈の通り。その時の「情」けという言葉の解釈は、人間味のある心。他人をいたわる心。人情等を指していると思います。

 

 この「情け」という意味を「お情け」という言葉で良く表現される同情心だったり、敗者等に対する温情等にあてると「人(他人)に情けをかけることは、人(他人)のためにならない。」という解釈になるように思います。

 

 とある結果に対して、最初は「情け」人間味のある心を掛けられたと嬉しく感じました。救われるような「捨てる神あれば拾う神あり」という思いです。ですが、定量的ではなく、恣意的なことによる結果ということがわかり、それが「お情け」だったと感じたのです。

 

 もっと言えば、結果は恣意的なことで変わるということを理解しました。その事実に腹が立ちました。その「(お)情け」ではなく、事実に対してです。怒りは第二感情といいますが、怒りの前に感じる怒りのもととなる第一感情、自分にとって隠したい感情に気がつきました。

pleasantbreeze.hatenablog.com

 

 自分にとっての第一感情、それはその事実に対する「不信感」、「呆れ」でした。一番最初に感じた「嬉しい」と感じたことの第一感情は「信頼」でした。

 

 1つの事柄に対して、二つの解釈をし、後からわき出てきた怒りから、自分にとっての隠したい感情がわかりました。

 

 この感情は、「正しい」、「正しくない」とジャッジするものではありません。自分がそう感じていることを受けとめる。それがとても大事だと感じています。

 

 昨年の9月に書いた「怒りは第二感情」という記事で、私は

 

第一感情を受容し

なぜそのように感じるか

気づきを受け入れたときに

何かが変わる

 

 と記載していました。

 

 今回「不信感」、「呆れ」という第一感情を受け入れることで、そのことに対する自分の軸ができたように感じます。信頼感を持って考えることと、それがなくなってではものの見方は大きく変わり、それに対する考え方、行動も変わります。「呆れる」ことに対しては期待をしなくなります。それがそのことを見るうえでの自分軸になるように感じます。

 

 ただ、100%「不信感」、「呆れ」というわけでなく、そうでない面もあります。相手の「情け」には深く「感謝」する気持ちもあります。感謝があれど、事実に対して「不信感」、「呆れ」という感情を持つ自分を責めることはありません。両方をわかったうえで、自分がどうとらえるかなのだと思います。それは自分にしか判断できないことで、それが大切だと感じました。


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