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釈明


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「釈明」とは自分の立場や考えを述べて、誤解を解くこと。

 

 昨日、某宗教団体に訪問した某政治家の男女2名が釈明会見を行った。彼らが話していることの真偽は関係した人にしかわからない。釈明の目的は果たせたのでしょうか。私には話に一貫性がなくて突っ込みどころ満載に見えました。あの会見で、釈明の目的となる誤解が解けた人は少ないでしょう。

 

 新人の女性政治家の発言、政策を聞いてもらおうと間違えないように準備をしていた。化粧を直していた等々で、行き先がわからなかったそう。

 

 ビジネスの場で誰かと話すとき、初めて食事等に行くとき、また、自分の仕事を教えてほしいと頼まれたとき等、私は小さくても相手と話すための準備として、共通の話題やつかみのようなものを用意するように心がけています。

 

 また、この人はどのようなことに興味がありそうか、仕事の内容を説明するなら、どのレベルから説明したら良いか、伝える点や言葉の使い方等々相手によって強弱をつけます。

 

 原稿を書くのではなく、説明の順番と要旨をメモとしてまとめて、最後に話漏れがないか確認します。

 

 私が演説や講演をするとしたら、何を話すかは、誰に話すかで変わると思うのです。ましてや選挙という明確な目的がある中で、話す相手がだれか確認しないなんて私であればありえない。挨拶をするときも、相手がだれか確認するでしょう。

 

 同じ釈明するなら「相手が誰かはわかったけれど、それがどういう意味かは自分が不勉強でわからなかった」という方が聞いてる方は「そうかもね」と思うかもしれません。

 

 よく「記憶にございません」「記録はございません」と対象を絞って言うけれど、こういうときも特定したものはないけれど、それ以外については明言しない。それ以外のところにあるのでしょうね。そしてある程度は認めて開き直る。

 

 きっと世の中の関心が下がるのを待っているのでしょうが、根本的には何も解決しない。そういうことをテレビや報道で見ていてもつまらないです。こうやってテレビからも離れていくのかも。

 

 釈明が真実であれば、やはり言葉や話す姿に重みがあってそれが伝わってくるのだと思う。ですが、何かを隠そうとすると、それは違和感として残るのかもしれない。そうやって考えると、自分が真実を見る目を持っていることが大事なのだと思う。

 

 異常気象での災害に困っている人がいる。コロナで苦しむ人がいる。発熱外来や連絡先を知りたくて困っている人がいる。政治の力を発揮する社会問題は山ほどある。


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