日曜日14時から放送されている「ザ・ノンフィクション」今週の日曜日(2022年8月21日)に放送されたのは、彼女が旅に出る理由 ~すれ違う母と娘の行方~
ミサト(28歳)と私は年齢も異なりますが、興味深く視聴しました。心豊かに生きたいという気持ちは一緒。魂を削ってまで働くのは嫌だという気持ちも同じです。今回はミサトと私を重ね合わせて感じたことを書きます。
私もできればもう今勤めている会社で働きたくはないと思っています。会社に対して求めるものが変わり、働くこと自体も限られた時間で役割を果たす。今まで求めていた成長、自己実現、承認欲求とは、真逆の価値観となりました。(正確には、まだ割り切りきれてなく葛藤があります)
平日の起きている時間の大半を仕事で費やされることに負担を感じる。できれば、その時間を他のことに利用したいと感じています。
ミサトのように、会社から離れて自分の思うように日本国内や世界を旅して歩きたい。そうこうしているうちに自分の望む何かが見つかるんじゃないか。そう思う時期もありました。(今でもそう思うときがあります)
先日休学する東大生の記事にもあったように、地方のコミュニティーで生きていくために必要なことを学び、生きることを中心に豊かな学びをすることに憧れがあります。昔からその土地土地の人たちの暮らしを見て見たいという興味関心もあります。
今あるすべてに区切りをつけてそういう生活を志すのも一つの選択だと思うのですが、それはそんなに簡単ではない。今の私はそれをしても定まらないような気もするのです。
今の私はまだリタイアするには準備が足りない。自分の人生に責任を持つ。それには、自分で自分を養う、生きて行く土台を固めるために働く必要があります。それは希望するしないではない、必要なこと。
自分で自分のご機嫌をとる。今をつくった自分を受け止める。今生きていることに感謝する。それができるようになったら、どこにいても幸せだと思う。それが今の私の学びのように思います。自分を満たせるようになったとき、進む道も見える。
私が今いる会社で一緒に働く人たちは、心身のバランスを崩し今に至る私を受け入れてくれています。難癖ある人もいたり、進め方等といろいろと思うことがありますが、そちらに目を向けるのではなく、受け入れてくれるありがたさ、人間関係が自分にとって負担が少ないことに感謝する。
嫌なことにとらわれずに、私は目の前のあるありがたいことに目を向けて、感謝して、自分を大切にして心地よく生きることが今の私の学びだと思います。
ミサとは、「お母さんに自分を認めてもらいたい。自分の生き方を容認してほしい」といっていました。ミサトは帰る実家がある。お母さんは港のようにミサトを守っている。ミサトは、「自分がこうなったのはお母さんが悪い。」と言っていました。お母さんが最大の味方だと気づき、感謝する気持ちを持ってほしい。いや、持っているであろうその気持ちをちゃんと伝えてほしい。
そして、私も親に感謝する。感謝の気持ちを伝えたいと思いました。