友人Kさんが人間関係に限界を感じ人生の岐路に立っています。人は本当に悩んでいるときは、言いたくても言えないことがある。それがわかっていながらも、Kさんに対して残念に思ったことの続きです。
Kさんが人生の岐路を迎えるまでの長い間、いろいろな相談を受けました。
客観的に見ると、KさんとYさんの関係はKさんの我慢の上でバランスが保たれている。それにKさんは限界を迎えていました。
Kさん自身はYさんに対して嫌気がさしている。それと同じ位、YさんにとってKさんは必要な存在であることに気がついてほしい。と感じているようでした。
Kさんも自分が知りたいことの情報提供求めても、彼女が望まないであろうことばをいうと、聞く耳はないようでした。
私は本当につらいことを経験してから自分の意にそぐわない言葉であっても、聞く耳ができたように感じています。
友人が自分のためにかけてくれた言葉を、自分が責められていると感じるのではなく、客観的に「こういう意味で言ったのかな」、「こういう背景があったのかな」、「こういう見方もあるのだな」と感じてみるようになりました。
これは、本当に苦しかったからつかめたもの。
友人の言葉が自分の考えと異なるものだったとしても、それは相手と自分の考え方が違うこと。その上で自分はこう考える。信頼関係のある人にはこうやって伝えることもできるようになりました。
相手が自分との間にマウントを取ってきたり、馬鹿にしていっているなら、相手にしないで聞き流せばいい。
私にとってKさんは大切でとても近しい友人です。我がことのように考えていたから、友人の反応に、残念だと感じました。これは私がそこまで感情移入してしまったことが原因です。
今回私は、そこまでKさんを心配する必要はないと感じました。Kさんと私は異なる人間です。Kさんが相談したことの経過を話さないことは、Kさんがそうしたことです。それはKさんが決めること。私のためにKさんが相談の経緯を話す必要はありません。
私は人に感情移入するほど人を心配しない。
私は相談をした相手には、相談をした内容の経過やお礼はちゃんと伝えたいと思っています。力になってもらったことへの感謝の気持ちそれは、伝えられて嫌だと思う人はいないとも思います。私はその価値観を大事にすればよいと思います。