今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

ゲームを降りる


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 前に一緒に働いていた女性。何か話したいことがあるように見えて声をかけたら、一緒に働いている女性への不満を話してきました。

 

 「(彼女は)仕事ができない。勤務時間中は仕事をしないで、残業時間になるとスイッチが入る。自分は頑張って、残業をしないでいるのに、仕事ができなくて残業している女性たちは残業代をもらっている。その分自分よりも給料をもらっていることが納得できない。上司は残業してい(=仕事をしている)と思っていてわかってくれない。」

 

 一通り話を聞くと、満足したよう。

 

 彼女の言いたいことはよくわかる。自分が頑張ってやっているのに、彼女から見て仕事をしているように見えない人の方が残業代を稼いでいたらそれは腹も立つだろう。

 

 私は彼女初め不満を持つ人たちの話を親身に聴いてきた。気持ちがわかるから。自分がその気持ちを抱いていたときに聞いてもらい、受け止めてもらったこと、「見てる人は見てるよ。」と言ってもらえたことで救われてきたから。

 

 自分にとって、自分の気持ちを受け止めてくれる人、そういう人にはその話をしたいと思う。

 

 一通り話を終えた後に、私が彼女に、「不満に思っている上司h本当は気づいているんじゃない?」等々少し違う見方をうながしてみると「いや、違うあの人はわかっていない」と彼女の主張を繰り返し聞くことになった。

 

 うまく説明できないけれど、私はゲームだと感じた。ゲームは試合、遊戯等いろいろ意味がある。そしてストレス発散になる。

 

 相手を悪く言うことで気持ちを吐き出し、受け止めてもらうことでストレスを発散する。また、人を悪く言うのは、「人の不幸は蜜の味」に似ている部分がある。

 

 自分が心身のバランスを崩して今思うのは、彼女が不満を言いたくなるに根源は「彼女が彼女自身を認めていないこと」。

 

 仕事ができない人は彼女の不満を映し出す鏡のようなもの。仕事ができない人に問題はあるけれど、それは、彼女の本当の問題ではない。

 

そう感じるようになってから、心の中で何かが変わった。

 

ゲームを降りる。

 

 彼女が愚痴を話すのは、ゲームのようなもの。彼女がしてほしいことは、話をきいてもらうこと。不満に思っている自分を承認してもらうこと。それで充分。余計なことは言わず「そうだね、大変だね。」でいいのだと思う。


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