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思い切ってやめてみた事


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はてなブログお題「思い切ってやめてみた事」参加します。 

 

 思い切って「やめてみた」というように意思をもってその方向に梶を切ったわけではありませんが、いつの間にか「やめて」いて、もう「やろうと思わない」ことを記載します。

 

 それは「人に合わせることができなくなったこと」、「相手の期待(と自分が思っている、思い込んでいる)に副うことをやめたこと」です。

 

 「旅行中の午前」で記載した友人が今度旅行に行くことを小耳にはさみました。その旅行先は私も何度か言ったことがある旅行先、その友達はその旅行先のおすすめ情報を教えてほしいと言っているそうです。

pleasantbreeze.hatenablog.com

 

 私はこの友人から旅行に誘われていました。心身のバランスを崩した私は、誘われたときに正直に「いけるかどうかわからない」、「いけるときといけないときがあると思う」と伝えました。これが正直な現在地。それでも友人は「自分が企画する」と言っていました。

 

 もしかするとその旅行は諦めたのかもしれません。自分の言ったことを思うと、それは正直な気持ちですが、友人には悪かったと思う気持ちもあります。「人に合わせることができなくなった」と伝えましたが、それは、彼女が嫌いということではなく、今の私の状態です。言い方等言葉が足りなかったと反省する気持ちもあり、今度何かの機会にその気持ちも伝えようと思います。

 

 友人は別の人と旅行に行くことにしたのでしょう。直接聞かれたわけではないけれど、お勧めのところを教える気持ちにはなりませんでした。自分が教えたいと思わないのです。

 

 今までの自分であれば、相手の期待に対して、自分の意思にかかわらずできることはやろう、やらなければいけない思っていました。ですが、自分の意思として、教えたいと思わない。私にとって大事な友人ですが、教えたいとは思わない。もし、今その友人に旅行に誘われたとしても、私は「行きたい」と思わないでしょう。旅行中の午前のように、合わせたり気を遣うことをしたくないのだと思います。

 

 京都に旅行ができたのは、私が京都に「行きたい」という気持ちと、京都の友人が「自分のところに泊まっていいよ。会いたいからおいで」と言ってもらったこと、京都の友人に「会いたい」と思ったからです。人に合わせるのではなく、自分の意思としてそうしたかったのです。

 

 いつか旅行に誘ってくれた友人とも「旅行に行きたい」と思う日が来るかもしれません。その時が行きどきなのだと思います。


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