2022年年始に「自分がありたい方向性」を定めました。それは、「働くために生きている」から「自分の人生を生きる」こと。シフトチェンジに向けて「私(プライベート)・個(個人)」で「自分の人生を生きる」ために心がけたいことを22個掲げました。
今日はその6回目は「100%の力を出さない。余力を残す」(2月7日)の振り返りです。
こんなことを書いていました。
私は仕事を頑張りすぎて、「食べること」、「寝ること」ができなくなり、大きくバランスを崩しました。他人に認めらるために、「手を抜いた」という悔いを残さないよう100%いや120~150%を目指す勢いで取り組んでいました。
「頑張ること」はときには必要。ですが、「完璧を目指す」ペースを続けていたら破綻するのは当たり前。
「食べること」、「寝ること」ができなくなったことは、私にとっては、言葉では表現できないほど辛く苦しい経験でした。「食べること」、「寝ること」が恒常的にできるようになっても大きく落ちた体重は、なかなか戻りません。バランスを崩したことのダメージを感じました。
私が頑張ったのは仕事でしたが、自分が頑張ることを、そこまでやらなければいけないを選択し続けたのです。今は自分で自分を認められるようになってきたので、他人に認められるために頑張ったり、合わせたりする気持ちはだいぶなくなりました。
一人で仕事を抱えて完璧にこなす。それをやりきる精神力と忍耐力、集中力。努力は身につけたものかもしれません。しかし、自分を崩してはそのちからも意味を持ちません。自分に「頑張りすぎる、やりすぎる」特徴があることを認める。
「食べること」、「寝ること」を守りながら、「何をどこまでやるか」を自分で決めて実行していく。「100%の力を出さない。余力を残す」
すべてを完璧に全力でこなそうとしていたら、いつかは息切れする。そして、大切な何かを後回しにして、公・私(プライベート)・個(自分)のバランスが乱れ、心身ともにバランスを崩すことにつながります。 と書いていました。
ここからは振り返りです。
「100%の力を出さない。余力を残す」は、一昨年の秋冬位に信頼する方から言われた言葉です。言われた時はこの言葉の意味が理解できませんでした。3〜4ヶ月かけて噛み砕きました。
2月のこの時点で「100%の力を出さない。余力を残す」を自分なりに腹落ちできて良かったです。
公(仕事)においては、今は120%の力を注ぐなんて考えられない。(自分の今までの基準から)50〜60%位の力で60〜70点を目指すに変わりました。余力を残すことは今のところ成功しています。
私(プライベート)・個(自分)においては、大学の勉強のほかに趣味の絵等、幅が増えました。言葉を変えれば、余力をこちらにあてています。
私(プライベート)・個(自分)においても、100%の力を出すのは、大学の科目修得試験だけにしたい。気が済むまで勉強(完璧に学習、理解する)していたら、時間も足りないし、記憶もおいつかない。
完璧を目指すのではなく、ある程度まで進めて、自分なりに要点を絞り、考えを整理する。インプットした情報を要点として絞り、アウトプットする。ベストではなく、ベターの範囲内での工夫を目指しています。
食べること、寝ることができなくなって苦しんだことからきづいた、大事な気づきは定着しつつあります。
<100%の力を出さない。余力を残す~2022年に心がけること22⑥>
自己評価 5段階
達成度 ☆☆☆☆
浸透度 ☆☆☆☆