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 年末年始休暇、有休をプラスして、長い休暇を有意義に過ごしました。長い休暇を取得した目的は、実家に帰省すること、大学の卒業研究を推進したい。その気持ちを叶えるためでした。

 

 年末年始休暇中、頭の中に公(働くこと。仕事)はほぼあたまのなかにほとんどなかった。頭の中を占めていた比率で言うと、3〜5%だったと思う。

 

 1日に1回はメール等の確認はした。急ぎのものはない。やりかけの仕事はあったけれど、具体的に仕事の中身を思い出すことも会社の人間関係を思い出すこともなかった。

 

 こんなに公(働くこと・仕事)から離れ、ストレスがない状態は今までの年末年始休暇の中でもなかったと思う。

 

 長く働いてきた中で、ワーカーホリックを自覚している時期も何度かありました。物理的には、会社から離れていても頭の中ではずっと仕事や会社のことを考えている。お休みの日も含めて、24時間365日会社や仕事のことを常に考えている。それは働く上で重要な精神。会社のことを考えるのはあたりまえ。考えていないと罰を受けるのではないかという気持ちもありました。

 

 その頃母親に「会社は家族じゃない」と言われました。そのときはその言葉の意味がよくわかりませんでした。

 

 私は高校生や短大生の時に、卒業したら居場所がなくなるという恐怖心をずっともっていました。就職が決まった時に、定年までは所属するところができてしばらくはこの恐怖から解放されると本当に安心していました。

 

 私は長い間会社を中心に生きる価値観の世界の住民でした。ですが今は、私(プライベート)・個(個人)に生きる世界の住民です。その理想像が年末年始休暇を過ごしたあり方だったと思います。

 

 長い休みが明けて出社しました。実家でもなく休暇中でもない、1年の中で自宅から出勤する一番多い生活様式が始まりました。

 

 私の古い価値観は「休暇中に仕事のことを考えなければ罰を受ける」。出社してみて私は罰をうけるのでしょうか。

 

 罰を受けることもありませんでした。長く休んだことに引け目を感じる気持ちはあります。ですが、私の気持ちに罪悪感はなく、澄んだ気持ちです。

 

 過去の価値観であれば、休暇中に会社のことも考えずにいた自分に対して、罪悪感を感じ、周りの景色、会社という世界は一段暗く見えたと思います。

 

私が今見ている澄んだ色は、私(プライベート)・個(個人)を生きる世界。そのこころで見たいろなのだと思います。

pleasantbreeze.hatenablog.com


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