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理不尽な現実に折り合いをつける②


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 昨日の記事でアルフレッドアドラーの言葉から、「健全な人は、相手を変えようとせず自分がかわる。不健全な人は、相手を操作し、変えようとする。」から、「今まで理不尽なこともたくさんあっただろうけれど、折り合いをつけて乗り越えてきたのでしょ。(今までの状況は)自分のことだけ考えていればよかったけど…」と言われたことを思い出した。

 

 「理不尽な現実に折り合いをつける」の私の解釈は「今の現実に自分の気持ちの折り合いをつける」だと書きました。

pleasantbreeze.hatenablog.com

 

 昨日、その言葉を言われた相手と接点がありました。そのことから、思いつくままの言葉を並べていました。相手は私に言ったことは覚えているでしょうが、私にその言葉が刺さり続けているとは思っていないかもしれません。傷つけることをわかっていったと言っていたので、その言葉を刺すことを目的としていたのかもしれません。

 

 相手の立場になれば、そう言いたい気持ちもわかるし、感情で口を滑らしてしまい、悪気もなかった部分もあると思います。発言の根っこにある気持ちは「自分の思い通りにならない」と「相手(私)にとって良かれと思って対応したのに」の両方。相手も葛藤があったのでしょう。ただ、言い方自体は相手を傷つける内容でした。(相手が自覚しているように)。

 

 私が昨日から引きづっている気持ち。相手に対して思っていることがわかりました。「相手にとって望ましくないことを言ったことは、自分が健全にあるために必要なことを言ったこと。相手を否定しているのではない。相手に感謝している気持ちも変わらない。」

 

 私は相手にも自分の気持ちをわかってほしい。と思っているのです。私が相手がそう言いたくなった気持ちがわかるように。私は相手から自分を否定をされたと感じています。

 

 私が望むのは自分の気持ちをわかってもらうまでです。ですが、相手はそれもわかっているように思います。そのうえで「自分の思い通りにならない」という根っこにある気持ちの方が勝っていたのだと思います。

 

 今の私は相手に感謝している気持ちと、相手から言われたことに対して心を閉ざす気持ちの両方があります。感謝している面があれど、傷つけてもいいという相手を全面的に信頼することはありません。信頼している部分もあるけれど、信頼していない部分もある。そのうえでその人のことは否定していない。自分を守る線は自分のためにひき続けていきます。

 

 コミュニケーションは一度行き違うと修復が難しいですね。コミュニケーションには信頼関係がおもむろに現れます。


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