今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

感じ方の問題かもしれないけれど。。。


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 知人に命に関わる病気があることが判明しました。その状況は思わしくないものでした。現在は、検査結果が判明した段階、治療方針はこれから決まるそうです。

 

 知人は初めて死を意識したそうです。告知を受けた時は頭の中が真っ白になり、そのことで頭がいっぱいになり、こころがかきみだされた。そして、なんとか気持ちを立て直して、病に立ち向かい、自分のありたい姿をめざす。とお話しになりました。

 

 数名の集まりで話してくださった内容です。自分のことでなくても衝撃を受けました。もし、自分が知人の立場だったらどのように感じるだろう。その恐れや不安は計り知れず、言葉になりません。

 

 集まりにいた1人がこういいました。無責任には言えないけれどという言葉に続き「実は私も数年前に同じ病気の告知を受けたことがある。それで何度か検査を繰り返し、その病気ではなかったことが判明した。治療法は進化し続けている」

 

 この発言をした人は、自分の経験を踏まえ、て知人を励まそう、希望を捨てないでほしいとの思、温かいきもちからの発言だと思います。

 

 ですが、聞いていた私は違和感がありました。何で診断が変わる可能性があるようなことをいうのだろう。

 

 その人は自分の体験を言ったまでという捉え方もあります。ですが、知人の話からは確定診断が変わる可能性はあまりに低いと感じました。(私が知らないだけで、そういう話はあるのかのしれません)

 

 その病気を受け入れることは、私であれば簡単にできることではありません。知人は気丈に振る舞いながらも、いろいろん思いが交錯していて、その病気でなければどんなにかいいだろうという気持ちもあると思います。その病気を受け入れることに立ち向かっている状況だと思います。

 

 私の価値観ですが、デリカシーに欠けると感じました。それ以上に言うにふさわしくない言葉だと感じました。個人の感じ方の問題かもしれないけれど。。。

 

 もし、確定診断が翻ったことを話すとしたら、そのタイミングは、知人の診断が翻ったときのように思います。いや、私だったらそのタイミングでも言わないかもしれない。もし私が病気に関することで何か言うならば、同じ病を克服した人の話になると思います。

 

 私が知人に伝えることは、知人が目指す姿を応援するのみです。

 

 その発言をした人は、相手を思いやるよりも自分が言いたいことを言う気持ちの方が強かったのだと思います。

 

 言われた言葉から知人にネガティブな影響がないことを心から祈っています。


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