今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

それでいい、いやそれがいい


スポンサードリンク

 最近、周りに対して期待をしなくなりました。以前は周りの反応が気になって、そこに目が向いていました。今は、反応は気になるもののそこまで。気持ちも目もそれ以上にそのことを追い続けることはしなくなりました。

 

 仕事でも大学の勉強でも自分が何かの情報を発信したり、誰かが何かの情報を発信したものを受信することがあります。自分が発信した内容に対して、相手がどのような反応をするかは、それなりに気になる。例えば、相手に仕事の何かを、大学では研究した何かを説明をするような場合です。

 

 ここでは両者ともわかりやすく情報を伝えることを目的としています。相手が受け取りやすいように平易な言葉や表現、事例を用いて説明する感じです。目標は相手がその情報を受信して理解してくれることです。

 

 自分の発信に対して、相手が何かしらの反応をする場合もあれば、反応をしない場合もある。

 

 目標は、相手がその情報を受信して理解してくれることであったとしても、情報を受信するかは相手のみができること。私ができるのは、発信の工夫をすることと考えるようになりました。

 

 相手の反応(なしも含む)の捉え方が変わったのです。反応があった場合、それが何かネガティブだったり足りない点への指摘だったりすると相手は私を理解していない。と反発的な気持ちになる。

 

 反応がない場合は、極端な例ですが、箸にも棒にもかからない位情報のレベルが低いから相手は何も言わないんじゃないか。相手は私を馬鹿にしているんじゃないか。というような捉え方をしていました。

 

 発信した情報に対して、相手からのポジティブな反応があることを期待し、それを判断基準にしていたのです。

 

 今は、相手に何か反応があった場合は、反応を反応のまま受け止める。反応がない場合は、反応があるかないかは相手の問題でだと考えるようになりました。情報を理解しているか、活用するかは相手の判断です。

 

 私は今の自分ができうることをしたのだから、それでいい。改善点や改良点を感じたなら反映していけばいい。相手の反応は自分に対する評価ではない。

 

 私は、相手に対して何か言うべきことがあり、相手に聞く耳がある場合だけ、反応するようになりました。仕事であれば、いろいろ気がつくことがあっても基本は口にしなくなりました。相手は相手の責任でやっていることなのだから。相手が能動的に考えているのではなく、自分への依存心が感じられる場合も口は挟みません。他人の責任を引き取ることはもうしません。

 

 そうやって周りを見ると、自分の見たいものが見えてきて、見たくないものは目に入りません。同じ現実を生きていても、パラレルで別の世界に移行できてきてきたのだと思います。


スポンサードリンク