今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

自分に返る


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 数日前に職場の人間関係についての記事を書きました。1つは自分から余計なことを言ってしまったこと、もう1つは相手方から声を掛けられてのこと。

 

 1つ目は善意で言いました。が、「あなたが具合悪そうだから結構です」と、2つ目は上司から質問をうけたので「確認しましょうか」と伝えて、ヨコにいた若者から「いいです」と言われた話です。

 

pleasantbreeze.hatenablog.com

 

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 どちらも、私に対して「ノー」と言われたようなものです。相手方が私を見ている見方が言葉に表れたのでしょう。私はどちらも取り合いませんでした。

 

 これは、私が今までそれらの人に対して行ったことが、自分に返ってきたともいえるのだと思います。

 

 「あなたが具合悪そうだから結構です」と私を理由にこの言い方をすること自体、人としてどうかと思います。ですが、それは置いといて、具合が悪い時期もありました。

 

 それはその人はそういう言い方をする人だというその人の問題です。その人には今も私は「具合が悪く」見えるのでしょう。本当に具合が悪い人に「具合悪そうだから」というのも失礼なんですよ。そういう言葉をいって、私をコントロールしたいのかもしれません。私が動揺するところを見たいのか、自分は健康であなたは病気と自分を上に見せたいのか。もしかすると、その話題から、自分に何か不満があるから、私に聞いてほしいとか。

 

 私は「あなたが具合悪そうだから結構です」と言ってきたことに対して、「わかりました」と取り合いませんでした。その翌日、その人が大変そうにしているときにこちらを見てきました。私はそのような時「大変ですね」とねぎらう言葉をかけていましたけれど、それもしませんでした。

 

 「いいです」と言ってきた若者には、一度苦言を言いました。私はその若者に仕事を教える役割ではありませんでしたが、これ以上遅延すると周りに影響がある、また今まで聞き流している態度に頭にきて、きつい言葉を言いました。そのことは、反省しています。若者にしてみると、私の言うことを受け止められなかったのでしょう。(言った言葉が理解できていればそのようなことになりませんから)

 

 若者の根に持った何かが「いいです」だったのでしょう。自分が若者に対してマイナスの反応をしたことが自分に返ってきたのだと思います。

 

 振り返れば、教える立場にない私は、仕事の状況がどうであれ、だまってみていればよかったのだと思います。私が仕事を教える役割だったら話が別ですが、余計なことをしなければよかったのです。

 

 彼らの言動を見ていて、最低限の礼節をわきまえる、余計なことを言わない。まともに向き合わない。を学びました。

 

 彼らの態度に頭にくるのは、自分を馬鹿にされていると感じる部分かもしれない。彼らの態度にカチンと来ても、自分にとって心地よさは何一つない。このような人たちをまともに相手にしているうちは、自分もその世界の住人なのだと思います。以前より客観的にものを見れるようになりました。

 

 今日は立春、新しい自分の心地よい世界を選択して生きていきます。


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