今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

家の気配…

 今日は卒業研究に向けて、近所の図書館ではなかった文献を大きな図書館に調べに行きました。無事目的は達成できました。(このことはまた書きたいと思います)

 

 自宅への帰り道には、複数ルートがありました。早く帰って研究に取り組もうと思い、最短のAルートで帰ろうかと思っていたのですが、なんとなくいつも会社から帰宅するときのルートを途中から歩くBルートで帰りたくなりそちらを選びました。

 

 ちょうど1年前の今日でした。通勤ルートに気になる家があることを記載しました。まるっと引用します。

 

いつもの帰り道ルートで気になっているおうちがあります。私はそのおうちを表札の名前の通り「〇〇邸」という愛称をつけています。

 

 「〇〇邸」は車がぎりぎり通れるくらいの幅の道路に面した築50~60年位の南向きの日当たりが良い2階建てのおうちです。(ドラえもんにでてくるような昭和の一戸建てのようなイメージです)。ブロック塀の奥にあるお庭にはたまに水が循環する音が聞こえます。見えないのでわかりませんが、水槽くらいの小さな池?があるのかなと妄想が膨らみます。

 

数年前に朝の通勤時も途中まで歩いていたことがあり、そのころから「〇〇邸」を意識していました。

 

 「〇〇邸」のあたりは、ごみの回収日にご自宅前にごみを出すスタイル、「びん・缶」の回収日に、大きなごみ袋いっぱいに缶チューハイの空き缶が入っているのです。それも同じ銘柄、レモンの缶チューハイ、もし毎週ゴミを出しているのなら、1週間に30~40本位の空き缶が出ていました。「今週もたくさん召し上がったのね」と思いながら通り過ぎていました。

 

帰り道では、縁側にあかりが灯り、夏にはテレビの音が聞こえることもありました。

 

 その「〇〇邸」、最近あかりが灯っていないのです。最後にあかりが灯っていたのは昨年12月中旬、12月下旬以降あかりが消えたままなのです。

 

 そのころは「どこかにお出かけなのね。いってらっしゃい」と思っていました。ですが、年が明けてもあかりが灯りません。門扉にあるチャイムの小さな赤いライトが灯るのみ。なんとなく人の気配がありません。気になって足を運ぶ速度が遅くなります。もしかすると、私が通る時間帯が早いだけなのかもしれません。

 

 私の中で「〇〇邸」は、おうちの築年数からお酒が好きな高齢のご夫妻がお住まいなのだろうとのイメージがありました。「〇〇邸」からは明るい陽ざしの中でゆったりと生活を楽しむ空気を感じていたのです。実際にはどのような方かは存じ上げませんが、親近感を持っていました。

 

 私は本当にただの通りすがり。ご近所の方に「最近いらっしゃらないようですが何かあったのですか?」と聞けるわけもありません。それ以前に私が足を止めて家の中を見ていたら、不審者以外の何者でもありません。もし私が逆の立場だったら、この人なんだろうと感じます。

 

 どうかお元気でいてほしい、いつか「○○邸」にあかりが灯る日がきてほしいと願っています。

 

 そのおうちの前を通ったら、なんと、家にブルーシートがかかっていたのです。昨日の夜はかかっていなかったのに。「えっ!どういうこと?」と思いました。

 

 私が見たのは家の背面からだったので、車が通れるか通れないかの表面の道に回ろうとすると、工事の時によくいるガードマンさんが道の入り口に立っています。

 

 その道はおそらく私道なので、住民ではない私は入ることを遠慮しました。○○邸の前には、トラックが止まっていました。トラックの止まっていた位置と道路幅から考えるにお庭部分を解体して、車を止めているように見えました。…ショックです。

 

 「○○邸」は昨年の2~3月頃、2日だけ、電気がついた日がありました。それは、2階の一室のみ、1階部分は玄関含め電気がついてなかったので、消し忘れっぽかったです。玄関の前にまとめられた段ボールがあった日もあり、数日後なくなっていたので、誰かは家に出入りしている気配がありました。

 

 月曜日の帰り道、暗いですが私道を通ってみようと思います。(警備員さんがいなければ)。

pleasantbreeze.hatenablog.com

ゆでガエル

 ゆでガエルのたとえ話をご存知でしょうか。

 

 カエルを熱湯に入れたら、カエルはびっくりして飛び上がる(熱湯から逃げる)。カエルがいる水の温度をゆっくりと上げていく。そうするとカエルは変化に気がつかないで逃げるタイミングを逸し、いつしか茹で上がってしまう。

 

 ビジネスでの危機管理のたとえ話としてよく使われます。

 

 小さな変化、最初は気がついていたのに気にしないでいるにだんだんと何も感じなくなる、あるときまた気がつくと最初に気づいたときからはだいぶ変わっている。

 

 一般的にはこのような使われ方だと思います。

 

 例えば、仕事で異動した先が、信じられないほど変な環境だった。その時に自分が「変だ」と感じる感性があれば、びっくりして逃げることもできる。一方で、たとえは異なりますが、配置された部署で最初に担当した仕事量から、時間が経つにつれてどんどん増えていき、いつしか2~3人分の仕事量をこなすようになっていた。

 

 そして、疲労をため込んでしまい、病気になってしまう。そうなるまで、少しずつの変化に気がつかずに、自分を痛めていた。ゆでガエル状態なのかもしれません。

 

 また、以前はすごい仕事量をやっていたのに、今の私のように仕事が少ないということに適応できない、最初は周りに迷惑をかけて申し訳ないと思っている気持ちがある。

 

 ですが、今はその少なさに慣れてきて、その少なさに順応したり、周りがどう思おうとそれはそれ。となったりと良い意味で自分を中心に考えるようになった。

 

 自分の変化を環境と考えたら、ゆでガエル状態なのかもしれません。が、その状態は私はゆでガエルではなく、変化に適応した状態だと思います。

 

 ただ、仕事は組織で行うものなので(今の私の場合)、仕事が少ないことで自分がどのような状況にあるかを感じる感覚は持ち続け、それに対して、自分の軸で考えられるようでありたいと思います。

 

 いずれにしても、小さな変化に気付くアンテナとアンテナで察知した情報を判断する自分軸はしっかり持っていたいと感じました。

 

 昨日の記事に温かいコメントをくださりありがとうございました。とてもうれしく、感謝しています!どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

計画を練りなおす

 昨日、大学の卒業研究をやり遂げたい。時間を有効に活用して体調を崩さずに乗り切りたい旨をブログに書きました。

pleasantbreeze.hatenablog.com

 

 ブログを投稿してから、卒業研究の計画書作りを始めました。昨日は追加で調べた文献から引用したい内容をまとめる。可能であれば自分の頭の中にあることを書き出したメモをもとに文章を書く予定でした。

 

 追加で調べた先行論文からの引用をまとめるのが難しい。言いたいことを書いてある文章を見つけたのですが、その文章には、私が卒業研究内で触れていないことも記載されています。

 

 よくよく読んでいくと、触れていないことは、先行論文の著者の見解には必要な要素です。私がそのまま、その内容を引用するかは、私の研究全体に必要かどうかでの判断人なります。必要であれば、その部分を説明する内容も引用する必要があります。

 

 そうなってくると、また全体の練り直しが必要になります。

 

 2月中旬までに、卒業研究、科目修得試験、スクーリングがあります。そのすべては今全て遅れている状況です。なんとか当初の計画通り、単位を修得するにはどうしたら良いか。

 

 1日24時間は増やすことはできない。時間をどう使うかを再考しました。

 

 平日(働いている日)の勉強に当てられる時間は、最大2時間、やる気があった上で無理なく確保できるのは1時間です。2時間を巡行ベースにするにはどうしたら良いか。

 

 今は昼休みにブログを書いていて、家に帰って手直しをしてアップしています。ブログを書く時間を勉強に当てようかとも考えました。しかし、私の中でブログを書くことを通じて自分の気持ちや考えを日々整理しています。ですので、可能な限りこの時間は減らしたくないです。

 

 では、どうやったらもう1時間を巡行的に確保できるか。入浴の時間帯を変えようと思います。私は入眠のために23時以降パソコンやスマホを見ないようにしています。なので、勉強も手書きで文章やメモを作ることを主にしています。ですが、検索したい内容も多く、1度もパソコンを見ないというわけにはいきませんでした。

 

 パソコンやスマホを見ない時間帯=23時以降に入浴し、その入浴時間も少し短くすれば、24時に就寝可能です。就寝時間までに入浴後の体温を下げるには少し早いけど、入浴時間を変えることでまとまった時間を勉強に充てることができます。

 

 また、平日は科目修得試験の勉強を、休日は卒業研究を中心に行うことに変更したいと思います。どうしても、卒業研究に頭が向かい続けていますが、科目習得試験も大事です。

 

 この計画でまずは1週間やってみます。そして、当初の計画を変更する必要があるかを判断したいと思います。


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