今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

記録的、歴史的

 先週台風5号が東北地方に上陸した。台風は通常西から東に動くが、この台風は東から上陸した。それだけでも特異な台風でした。台風の被害にあわれた方々に心よりお見舞い申し上げます。

 

 昨今の報道で「記録的、歴史的」という言葉が多用されていることに違和感がある。実際に起きた災害は「記録的、歴史的」なのかもしれない。しかし、こうも「記録的、歴史的」と頻度高く言われていたら、感覚が麻痺してしまう。

 

 加えて「記録的」と「歴史的」言葉の差が良くわからない。報道では、使い分けをしているのでしょうか。歴史に残るから「記録的」であり、記録に残るから「歴史的」とも言える。記録的よりも歴史的ほうが大きい感覚はあるけれど、どうなんだろう。マスコミはどういう使い分けをしているのでしょうか。

 

 台風5号の被害が起きている最中に、このままこのままいけば台風に成長するであろう台風7号の報道が幅を締めてきた。台風5号で甚大な被害を受けたエリアがある。そのエリアのことを報じなくていいのでしょうか。

 

 台風7号は影響が出ると推測されることから、注意喚起にうごいたということなのかもしれない。また、影響を及ぼす範囲が人工分布的には多いと考えたのかもしれない。

 

 何が言いたいかというと、何をどのように報道するかは、報道する側の判断の上で行われる。どの範囲を報道するか、どの面を報道するかで、与える印象、影響も異なる。自然災害であれ、報道の意図があるように感じた。

 

 南海トラフ地震注意情報も、台風の報道が多くなることで報道が減った。これが、ずっと南海トラフ地震注意情報のことを報道していたら、私たちは受ける印象は異なる。

 

 全てを同じ粒度で報道することは難しいけれど、必要な情報を取捨選択する必要はあるのだろうけれど、そこに意図的な操作があってはならないと私は思う。記録的、歴史的という言葉から、情報が与える印象や影響について考えました。しっかりと情報を読めるようになりたい。