今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

一流、二流、三流

仕事でとても残念なことがありました。

 

 複数の人物の写真撮影を行いました。撮影の目的は、高いクオリティーの写真が必要だから。そのために専門家にお金を払うのです。

 

 撮影期間中に、カメラマンが交代になりました。引き継ぎを行うので心配しないでほしいとのことでしたが、撮影後の写真を見て、愕然としました。明らかにクオリティーが落ちている。

 

 その人らしさが引き出せていない。見慣れた顔とは異なるぎこちない、作った表情。加えて、写真を撮るうえで共通でお願いしていたことにバラツキがある。

 

 写真はカメラマンの専門技能で結果を出す仕事。カメラマンも、よい写真を撮ろう、自分のベストを尽くそうと挑んでいると思います。

 

 カメラマンの変更は私がコントロールできないこと。そこは気持ちを切り替えました。そして、納品された写真を見てまた愕然としました。

 

 カメラマンとの間で、補正後の写真の納品をお願いしていました。例えば、顔のシミや皺を自然なレベルで薄くしたり、顔色を補正したり。衣服にヨレやたるみがある場合や肩が下がっている場合も不自然にならない範囲で補正されます。

 

 交代前のカメラマンはこちらが気が付かない事項も補正が反映されていました。納品された写真に違和感はありません。交代後のカメラマンは一部を除いて適切な補正がなされていない状態でした。こちらから複数回再修正を依頼しましたが、満足のいく内容ではありませんでした。

 

一連の流れから、「一流、二流、三流」という言葉が頭に浮かびました。私が思う「一流、二流、三流」は以下のようなイメージを持っています。

三流…言われたことができない、言われたことに文句や言い訳をいう

二流…言われたことができる

一流…言われたことを先回りして対応できる、言われなくても進めている 

 

 カメラマンは精一杯やっていました。決して手を抜いたわけではないと思います。残念ですが、厳しいですが、カメラマン、その会社の仕事は三流だと感じます。カメラマンはこれから経験を重ねて技能を研鑽する段階だったのだと推測します。専門技能を売る仕事でこの状態を作ったのはその会社です。

 

 私は専門技能を持たないサラリーマンです。仕事は完璧ではなく、合格点を目指していきます。合格点を目指す時点で二流を目指すことになりますが、常に自分のあとに仕事をする人が気持ちよく仕事ができるように進める。そこには先回りをして想像する気持ちは忘れないでいたいと感じました。

サボりたいこと①

今週のお題「サボりたいこと」に参加します。

 

 最近やりたいことが増えてきたことで、時間が足りないと感じています。そのような中で「サボりたいこと」。それは日常の食事をつくることや掃除だったりします。

 

 私は心身のバランスを崩してからは食べること、寝ることをおろそかにしないようにしています。食事は食べないことよりも食べること、食べるときはバランスよく食べることを心がけています。ですが、どうしても作る時間がないときはお惣菜やお弁当を買います。その場合も、お弁当だけでなく、サラダや煮物等野菜類をプラスします。

 

 日常の食事をつくることは習慣化しているので、習慣化の波に乗っているときはあまり苦になりません。ですがお惣菜やお弁当を買うとその楽さを感じ、つくることが面倒になっていきます。

 

 家でつくる食事は似たようなものが続いても、よほどでない限り飽きません。お惣菜やお弁当が続くと、なぜかだんだん飽きてきます。飽きるうえに、なんとなく体調が崩れるように感じるときがあります。また、美味しくて好きな味のものでも、しばらくは食べたくなくなります。

 

 食事をつくることは「サボりたいこと」ですが、「サボらない方が良いこと」なのだと思います。お弁当やお惣菜、外食を否定しているのではありません。お弁当やお惣菜、外食の多くは決まったパッケージになっています。上手に選べたとしてもバランスをとることが私の場合は難しいのだと思います。

 

 家でつくるものは、なんとなく身体が足りないと思うものを食材として選び、食事になるようにつくっているような気がします。そうして作ったものを食べ続けていくと、また、お弁当やお惣菜、外食をより楽しめるようになるのだ思います。

 

 掃除をすることもサボりたいけどサボらない方が良いことだと思います。掃除もために溜めてやるよりも、ある程度のところでやる方が掃除に対する労力がかからないと思うからです。

 

 食事をつくることはときには面倒になりますが、便利なものもたくさんあります。ふるさと納税等ではお礼の品として地域の特産の干物やハンバーグ等が冷凍で届きます。解凍後レンジで温めるだけで楽しめる産地のお料理もあります。そのような便利なものも活用して食べることも楽しみです。

 

 食べることは生きること。食べることを楽しみながらバランスを図りたいと思いました。

全体でものを見る

 習い事の「絵」の講座で、「写真を見て10分で絵を描いてみよう」というお題がありました。

 

 写真は2点あり、一つは果実が実る一連の木の手前に小ぶりな木がある風景、もう一つは、お花が咲く風景です。

 

 「10分で絵を描いてみよう」の目的は、全体を見て、大枠を捉えることを学ぶこと。風景を描くとき、全体で遠近感を表現することになります。私は一つ一つのモチーフを捉えて描き進めるので、写真では全体の1/3位のものを絵1/2以上のスペースで表現している(笑)進んでいくと「あれれ?」となります。全体でものが見れていない、バランスが測れていないのです。

 

 「絵」には一点透視、二点透視というものがあります。消失点といって、遠近法でみたときに、描く直線と平行な直線が交わる点があります。説明を聴いても、その点の見つけ方がわかりません。ですが、自分の描いた絵で線を伸ばしてみると、交わる点がバラバラなことはわかります。いろいろ書いていくうちにある日わかるようになるようです。わからないなりにも描き続けていこうと思います。

 

 話を戻します。今回は風景を例えば横線(ガイドの線)を引いて、その線を軸に木等の大きさを出っ込み、引っ込み等で表現してみる。お花畑も、一つずつ花を描くのではなく、花が咲いている群を塊としてみて配置してみるというもの。輪郭をペンで描き、色を塗ってみます。

 

 私は写真ではなく、先生の絵をまねて描きました。描き終えた絵は、ペンでの線の描き方、色の塗り方・重ね方の努力は必要なものの、全体としてはバランスがなんとなくとれていました。

 

 このとき、私は「木を見て、森を見ず」だと感じました。一つ一つの木を丁寧に描こうとし、全体のバランスが乱れたり、時間が足りなくなる。全体を見ながら、何を軸(基本)として、バランスをとるか。その視点の気づきは普段の人生の気づきにも通じるものがありました。

 

 絵を通じて、モノの見方、お仲間からいただいたタイムマネジメントのコツ、お仲間とのやりとりや絵から気づきを得ています。とても良い機会・場に恵まれています。絵は趣味かもしれませんが、気づきや学ぶことは人生全体に通じています。


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