今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

一言の重み②


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 昨日は心無い一言をきっかけに信頼関係が無くなった人のことを書いた。

 

 振り返れば、一緒に働いていた女性に対して、私の正論を吐いたことがあった。私の方が先輩だったけれど、業務は彼女手動で行うもの。物の見方の視点や幅の足りなさを指摘したときのことでした。

 

 私の言葉から、彼女の私に対する態度は変わった。それまでは私に信頼を寄せてくれていたけれど、線を引かれてることがわかる。

 

 私も彼女に言ってはいけない一言を言ってしまったのだと思う。その根底には彼女への温かい気持ちもあったけれど、「こんなこともわからないの?」という責める気持ち、怒りもあった。言葉は、相手に対するネガティブなほうの気持ちを強くのせてしまっていたと思う。

 

 今となっては、彼女が自分に対して心を閉ざした理由もわかる。そして、その信頼を回復することも難しいこともわかる。

 

 自分がされたことで、怒りや相手にネガティブな思いを持ってしまった時に発する言葉は、刃になることを知りました。

 

 こういうネガティブな言葉は、相手のためになるという自分の思い込みで、話してしまうことがある言った本人の根底には相手への温かい気持ちがあったとしても、言葉は厳しい勢いを持っている。

 

 言った本人は、温かい気持ちがあるから、自分の発言が相手を傷つけるために言ったとは理解できない。だけど、その言葉は、相手にダメージを与えるには十分すぎる力を持っているのだ。

 

 心身のバランスを崩してから、一言の重みに対する理解が変わった。発する言葉の源が一つ感情だけで発せられることは少ない。

 

 誰しも、その人の人生を生きることに一生懸命で、その人の悩みもある。その悩みや色々な経験からその人ならではの価値観がある。発する言葉には、ひとそれぞれの背景がある。

 

 一言で傷つくことにも、受け手側の悩みや色々な経験からその人の価値観といった言葉を受ける背景がある。同じ嫌なことを言われても、大きく影響を受ける人と、嫌な思いをしてもすぐに割り切れた理,気持ちを切り替える人もいる。それも、その人の経験や価値観が影響している。

 

 私は信頼を失った人と関係の修復を図ることはないと思う。この先何があるかわからないけれど、私はその人と接点を持ちたくない。その人との関わりは自分が決めていいこと。相手にコントロールされることではない。私が傷つけてしまったであろう彼女には一度「あの時はきつかったね。ごめんなさい」と謝った。それで私も線を引いた。これでいいと思う。


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