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事実は見る人によって違く見える


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 最近仕事を押し付けられたと感じたことがありました。

 

 私は押し付けてきた人のことを比較的好意的に見ていました。決定は組織としての判断なのですが、決まる前(こちらの意向を確認する前)にあたかもそれが決定事項のように押し付けてきたのです。そのやり方等に疑問を感じました。

 

 その人への信頼というよりは、人として感じていた好意はなくなりました。その人のことを良く言っていなかった同僚の言葉を思い出し、その同僚が言っていたその人の独断性がわかるような気がしました。

 

 相手への認識が変わると、今まで好意的だった態度が自然と変わりました。今までは、相手を承認したり、ねぎらう一言を多く発していましたが、励ましたり、応援するような気持ちの一言はなくなりました。

 

 とはいえ、相手の特徴から、丁寧に返信する方が賢いです。その人への信頼が変わる前と後では表面的には同じ言葉を書いていますけど、裏にある感情は違います。

 

 私の態度の変化が自分にどれくらいのデメリットがあるか分かりません。ですが、どっちにしても押し付けてくる人など期待はできないので、これでいいのでしょう。

 

 ここで仕事を押し付けられたことを別の視点で見て見ました。その仕事に関してはその人とのかかわりが減るということです。それを良しとして、面倒な人と関わらなくてよくなったとか、相手のご機嫌を取るのではなく、仕事としての面で接点を持てばいいと見方を変えてみる。同じ事実を少し違った場所から見て見る。そして自分の受け止め方を変えることで自分を楽にすればいいのだと思います。

 

 最近同僚が、合わない同僚のことで困っているという話をしてきました。客観的に見てもその二人は価値判断基準が異なります。一人はきちっとしている。もう一人はふわっとモノを考えるタイプです。

 

 きちっとしている方は、もう一人の人に対して完全に苦手意識を持っていて、相手はダメだと決めつけています。もう一人も自分がそう思われていることを感じていて、お互いのコミュニケーションはぎこちない状態です。

 

 ふわっとしているほうがそんなにダメかというと、たしかにふわっとしているけれど、そういうところもあると受け止めればそれでいいのかもしれません。きっときちっとしている方はそのふんわりさに実害を受けたのだとは思います。

 

 この二人を見ていて、同じ事実もひとによって全然異なって見えるのだと感じました。私はどちらに肩入れすることもありませんけれど、どちらも自分にとって見える事実を話していて、そこには自分の固定観念も反映されているのです。

 

 最近やっと人によって見えている世界が違うことがわかってきました。それまではみんな同じように見えていたのだろうと思いましたが、全然違うのですね。みんな自分というフィルターを通して一つの事実を見ている。考えて見れば同じに見えるわけもないのです。周りの人は、その人が見える世界でものを判断しているのです。

 

 こうやって考えると、自分の考えに固執することは自分にとって良くないこと、メリットが少ないことだと感じ始めました。これは私にとって新しい世界の見え方です。


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