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善人過ぎると損をする


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善人とは、善良な人。善良とは、素直で性質が良いこと。

 

 周りを見回すと、本当に善人(良い人)だと思う人がいます。善人というのは、周りとの比較、個人の価値観によりその基準は異なれど、総じて、人に不快感を与えず、素直で性質が良いと感じる人だと思います。

 

 善人すぎると損をする。

 

 周りを見渡して、プロジェクトに手が足りなかったり、客観的に見て「難しそう」と思うことに積極的にサポートに入る。

 

 よく言えば面倒見がいい。悪く言えば、自分の身を挺してまで仕事をしようとする。

 

 プロジェクトメンバーがプロジェクトに素養がある人間で構成されかはリーダーの人選の問題。

 

 実際には人不足もあるなら、ベストではなくべたーというところもあるだろうけれど、リーダーは自主的に補佐に入る人に助けられている。

 

 リーダーにとって、自主的に補佐に入る人は、うまくいかなければ助けてくれるだろうと、よく言えば頼りになる、悪く言えば都合良くあてなる存在だろう。

 

 補佐に入る人は、補佐をすることで、その人の業務に対する見識や経験値は上がるから、その人にとってプラスの要素ももちろんある。また、その人の姿を見て、形では見あらわれない信頼、信用を得ることになる。

 

 しかし、ビジネスという視点ではどうだろう。本来はそういう人は評価(=会社組織での本人への評価)される。その人が補佐に入ることで、チームメンバーは助かる。プロジェクトは少なくともその人が補佐に入る前よりもうまく進むことになる。

 

 ですが、根本的な原因は解決されません。補佐をする人にとって、負担が増し、業務負荷が上がり、残業時間が増える。周りの人たちは、自分が足りなかったものを補完することなく、業務としては成功してしまう。「良かった」となってします。ビジネスとしては、補佐される側の方にメリットがある。

 

 自分で言うのもおかしいけれど、私は心身のバランスを崩す前までは、会社において「善人」だったと思う。上記は、今他人を見て見えた世の中の仕組み。自分が経験したことだからわかる部分もある。

 

 「みんながわかりやすいように」、「次の人がこまらないように」周りの人のことを考えて仕事をしていた。ですが、「みんながわかりやすいように」、「次の人がこまらないように」という視点を持ってない人には、ラッキーなこと。

 

 そういう目で仕事を見ていなく、そういう足元固めをする気持ちがない(もしくは忙しくてそこまでやる時間がない)。自分がやらなければ、誰かが助けてくれる。やってくれる。それがわかっているから、手を動かさない。

 

 そのように感じるようになってからは、私も深度を下げて、申し訳ないが次の人が動きやすいようにというところに労力を割くことはなくなった。

 

 以下記事を見つけました。

要約すると人生がうまくいく善人は、

「基本まわりに親切だけど、ズルい人には親切にしない」

うまくいく善人でありたいと感じました。

panda-ondo.org


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