大木ゆきのさん、スピリチュアルに関するエッセイスト田宮陽子さんのブログをたまに読んでいます。
1年位前までは毎日のように読んでいました。ですが離れて、最近田宮陽子さんが実践されているエドガーケーシー療法(エドガーケーシーは霊能力者です)やホリスティック系のことに興味があり、ブログを訪れています。
田宮さんのブログには、心理学、とくに人間性心理学での用語がよく出てきます。田宮さんのブログはじめ世の中で知った心理学用語がテキストに書いてあることもあります。
スピリチュアルと心理学の解釈については興味を持っています。それも心理学の視点から学んでいきたいと思っています。
さて、田宮さんのブログに、「運命の人はこころの鎧をはずしたときに訪れると言う記事を読みました。そこに書かれていることは、胸に痛い言葉がだくさんありました。(田宮さんご自身も胸が熱くなると書いていらっしゃいました)
今このブログを書いているのは勤務先での昼休みです。余計な気を使うよりも1人でいるほうが気が楽で、いつもこうやって1人で昼食を食べています。それも、ほかの人が見えないような席にこもっています。これって「誘わないで、近寄ってこないでビーム」を出していることと同じです。
周りの人たちは、集まりたい人たちでランチを楽しむ人もいれば、自然集合的に集まる人もいます。私はそこにはいこうとせず、話したいと思うときに話したい人を誘う。(そうでない人とは接点を持たない)
周りとは線ができる。実は、心を寄せて話したいと思っている人もいる。「誘わないで、近寄ってこないでビーム」を発する元の気持ち、1人の方が気が楽といううのも本心ではあるけれど、心を開かないと、近寄ってきたいと思う人も近寄ってきてくれない。
私の理解と私なりの表現ですが、田宮さんの記事を上記の通り受け取りました。
私はこの勤務先と心理的に一線をひきたいと思い、その思考は現実となり、心理的な一線が引けています。それは良いことだと思います。しかし、勤務先で働く人の中には、本音で話したい人もいます。ただ、その人たちとは近くに居すぎて、どうしても「仕事」と言う要素が絡むから、本音を話せないこともあります。
「仕事」という要素が含まれると、会社との心理的な一線や仕事とも60%の力で向き合う自分が本音になる。以前の自分のように高い熱量で仕事と向き合う人とは話のラインが噛み合わない。それに私は会社に対して信頼する気持ちがない。それが出ることは、その会社で働く人には、同じように思う気持ちはあれど、気持ちが良いものでもないと思う。
個人・私人として、仕事をする上でのスタンスは同じ相手でも違いますよね。私は以前はその辺りが混同していました。仕事をする上では、相手に入り込みすぎていたように思います。(②に続く)