今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

構図が見えた

 仕事のひとつが混迷状態だった時に思ったことです。数ヶ月前のことです。毎回思う。上司が上の意向にそうことに一生懸命で具体的なことに考えが及ばない。なんで良い顔をして引き受けてくるのに、具体的なことを考えない(伝えられない)のだろう。

 

 一般的に上司は経験もあり仕事ができると言われる。しかし、仕事ができるかというとそうではない。正確にいうと、その上司は仕事ができるところもある。しかし、できないところもある。そのような人でも、上の人たちは自分の見えるところでしか判断できない。これが現実。

 

 以前の自分であれば、それをどうにかしようとしたけれど、上司ができないことの責任を引き受ける事はもうしない。面倒見の良い同僚も思うことがあるようで、上司を突き放す素振りはあるけれど、最後は手厚くフォローしている。まるで母親が息子を動かそうと過保護に接しているように見える。

 

 上司、良く言えば面倒見の良い同僚に対して思うことはある。その人のことを言っても仕方ない。しかし、上司も同僚も私には共依存に見える。

 

共依存とは

特定の人間関係に依存する状態。 自己の存在意義を認めてもらおうとして過剰な献身をくり返すなどの行為がみられる。

 

 上司は自分で解決するのではなく、面倒見の良い同僚にどうにかしてもらおうとする。面倒見の良い同僚は、頼られ献身することで自分を律している。 

 

 上司は自分の見通しと異なることを言われると分かりやすく戸惑っているのがわかる。私を含むメンバーはどうにかしてくれる。形にしてくれると都合よく思い混んでる。その中心には同僚との共依存がある。

 

 良く言えば面倒見の良い同僚、どこまでフォローするのだろう。はぁ。構図が見えた。呆れる気持ち、観察する気持ち。傍観する気持ち。さまざまな気持ちがある。

 

 上司のこの仕事の進め方に何があることと上司と同僚の共依存と考えている。この関係が続く限り、周りはその周囲の人になる。この関係の中に入ることはできない。なぜなら共依存関係になるということだから。

 

 私は合わせない。適当には合わせるかもしれないけれど、真の意味では共感しない。共感できないという状態を受け入れることでいいと思う。