今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

他人に入り込みすぎていた


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 昨日自分でやりたい人という記事を投稿しました。

pleasantbreeze.hatenablog.com

 

 この記事を書いていて、思いました。

 

 以前の私でしたら、私がCさんだったら、Bさんの仕事を引き受けようとしたと思います。困っている人に対して、自分ができる人があるなら、助けなければいけない、相手の立場に立って、Bさんにとって自分ができる精一杯をやろうとしていました。

 

 他にも、自分が関連していることで、例えばDさんとEさんの意見が対峙しているようであれば、間に入ろうとしていました。

 

 Dさん、Eさんがどのように考えているか、どうしたいか相手の領域まで入り込んでいたように思います。

 

 一方で私は、仕事で自分が「こういたい」と思ったら、頑として人の話を聞かないところがあります。良く言えば、軸を持っている。悪く言えば、頑固そのものです。仮に上司が私と違う意見だったり、はっきりしなかったとしても、その状態で、その上の上司に話をし、了解をとって進めたこともありました。

 

 そうした理由は、上司が物を決めなかったから。私は、上司が判断するレベルまでモノをまとめて、上司が「わかった」といわなければ、その上にもっていっていました。その行動は自分の方がその業務に知見があるという認識がありました。上司にしてみると、面目を潰されて面白くなかったでしょう。

 

 なので、自分が決めてやったこと(その上の上司が許可しているので、会社としての方針でもあります。)ですが、ゴリ押ししたこともあるので、私は上司の責任も引き受けて、決めたことに対して、トラブルが起きないように仕事を進める。上司に承認してもらう範囲を減らすように仕事をしていました。

 

 いろいろな意味で他人の領域に入り込んでいたと感じました。そして今ではそんなことをする必要もなかったと思っています。

 

 上司は、当時自分の責任が減っていたでしょうし、何か不都合があれば、私のミスと位置付けることもできたでしょう(問題になることや不都合は任期中はありませんでした)また、同僚たちは、私なら黙っていてもよく言えばどうにかしてくれると、他人が対処する問題も私に担わせようと考えたかもしれません。

 

 上記は相手が好意的に思っていたらの場合で、好意的に思わなければ人がやることに顔を突っ込んでくる面倒な人だったという見方もあると思います。

 

 自分の存在価値、居場所を会社の中にもとめていたから、過去の私の言動があったのだとおもいます。

 

 今は、自分の存在価値、居場所を会社に求めていません。心身のバランスを崩して新しくできた価値観は他人とのの境界線として明確化しつつあります。これは私にとって必要な、生きやすくなる必要な境界線だと思います。


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