今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

過剰な気遣い


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 同僚の女性。彼女は私が心身のバランスを崩したときに、本当に心配してくれて、親身にいろいろ考えてくれました。とても恩義を感じています。

 

 彼女は、人に対して過保護なところもありますし、誰かが困っていたら自分がどうにかしなければならないと思っている節があります。客観的に見ると自分は献身的に仕事をしなければいけないと呪縛を受けているように思います。

 

 とっても感謝している恩人ですが、彼女の言動に不快だと感じることが立て続けにありました。

 

 1つは、「独り立ちしてない」と言われたことです。彼女は大卒なので私より職位が上です。心身のバランスを崩していた当初、一緒のチームでかなりサポートをしてくれました。そのころは、私は「独り立ちしていませんでした。

 

 あれからだいぶ時間が経ちますが、「いつまでも自分が一緒に仕事をしていたら独り立ちしてないと思われるから良くないと思う」と言われました。

 

 これを言われたとき、私はショックでした。端的に言えば、彼女は私を「独り立ちしていない」と見ているということです。加えて彼女の言葉は、周りの人が私を「独り立ちしていない」と感じていると連想される者でした。

 

 業務の成果という点で、前に比べれば業務量も少ないし、仕事を深く突き詰めることもしていません。以前の私の成果のレベルが「独り立ち」ならば、今は「独り立ち」していないのかもしれません。そして、この先も標準よりも高い成果は求めません。

 

 心身のバランスを崩してからしばらく、回復するまでは、「独り立ち」はしていなかったと思います。しかし、今は回復したと思います。心身のバランスを崩した人はいつまでも「独り立ち」できないと言われているようにも聞こえます。しかし、前のように深く突き詰めることはしない。できることをできる範囲で行うことと「独り立ち」していないは違うと思うのだけれど。

 

 私は上司に対しても、積極的に残業をする気はないと言っています。仕方なく残業することはありますが、どうしてもというとき以外は、ある程度の時間で切り上げます。(必ずやらなければならないことを終えたら切り上げます)

 

 忙しい時は打ち合わせの時間がどうしても業務時間外になることがあります。そのメンバーのうち、私だけ任意で声掛けされます。

 

 就業制限がかかっているわけではないのに、一人だけ任意にするということもされた方は嫌な気分です。

 

 性分なのでしょうが、過剰な気遣いは人を傷つけるつもりがなくても、人を傷つけることがある。私は私としてできることをやっているんだからそれでいい。割り切ろうと思いました。


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