だいぶ長い間仕事にやる気を感じない。心身のバランスを崩すまではやる気に満ち溢れていた。けれど、今はそのやる気がない。
「やる気がしない」という話をすると、「仕事辞めたらどうするの、やる気がないなら辞めなきゃいけなきゃいけないじゃないの」と言われた。最近は、「仕事にやる気は無くてもいいんじゃないか」と思うようになった。やる気がないのだから、そう思わないとやれないという側面もある。
何のために働いているか。それは、生活するためにお給料を得るため。お給料を得るために必要なのは働くこと。そこにやる気があるかないかは本当のところは当の本人しかわからない。
ただ、適性があり、好きな仕事のほうが成果は上がりやすい。嫌だと思うよりも、好きだと思うほうが精神衛生上良い。
嫌だと思う気持ちを認めて割り切って働くことができたら、好き嫌いという感情は切り離すように仕向けて行くのだと思う。
そう思いながらネットを検索せるとこんな記事を見つけた。
やる気の根底には愛情がある。やりたくないなら、当然やる気も出ない。
仕事にやる気が必要、やる気がなければならないというのは思い込み。やりたくないものにはやる気がなくて当然。
また、やる気というものはそんなにいつもいつもエネルギッシュに満ちているものでもない。
その摂理に沿わずに、やる気を出さなくてはならないと思っては、自分に負荷をかけるだけだ。
そしてこの記事では「やる気は無くても仕事はできる」とあり、救われる思いがした。
会社は生産性を高めるためにやる気だったり、成長だったりを求めてくる。利益を出すためには当然といえば当然。
人事制度や運用に公明正大に説明ができなかったり、過重労働やパワハラ等を見て見ぬふりをしていたら、従業員も会社に愛情を持てるかというと持てなくなる人、割り切る人も増える。
こちらの記事にあるやる気の根底には愛情があるにすごく納得した。
それで良いのです。いろいろ、やる気が起きないものに愛情がないのです。
愛情がないということを、良いか悪いか判断するのは自分です。会社や他人ではありません。
会社は会社や他人(上司)が評価を決めるから、あちらの評価基準にあわせなければいけないと思いがちだけど、それは他人軸の評価。
自分軸で、愛情がないことを良しとすれば良いのです。
会社は従業員の働きに対してお給料を払う。従業員は労働を提供することで会社からお給料をもらう。
やる気があっても、なくても働きがどうか。
仕事にやる気は必要ない。やる気はあるほうが良いだろうけれど、
必ずしも必要ではない。私はそう思います。