今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

止まらないイライラから感じた事


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 急に仕事を増やされて、イライラが止まりません。イライラするたびに、自分の意識が仕事にむかってしまっていること、また会社と自分のエネルギーが異なることを自覚しています。

 

 なんだかんだいって、今いる場所は自分が選択しているのです。私は、会社に骨をうずめることはない。どこかで去る日が来ます。その日は自分のこころと向き合うほど、早まっていきます。

 

 次の方向性が決まるまではと続けていますが、エネルギーが合わないことを自覚して、自分がイライラしてしまうことが良いとは思えません。

 

 通信制大学に通っているときはうまく割り切れたけど、仕事以外に集中できるものがないとこうなってします。帰ってきて資格試験や英語の勉強をせずに嫌な気持ちを引きずっている。もしくは疲れ切っていた日々が続きました。今の不快なイライラを選択し続けてはいけないと考えています。

 

 私は心身のバランスを崩してから、本音と建前がわかるようになりました。企業は営利団体だから、最大限力を発揮するようにしていくことは大事。しかし、最大限に能力を引き出すことと、酷使することは違う。

 

 会社は、福利厚生等をよくする等お金を賭ければ形になる事は従業員に提供しやすいけれど、その人が持つモチベーションを高めるために、公平に評価をする、心の面での働きやすさをどれくらい考えているのでしょう。会社は従業員から訴えられたり、責められたり、社会的に批判をうけなければ、それでよしと思っているように感じます。日本企業の広範に言えることかもしれません。

 

 従業員が心身のバランスを崩して労働力が下がることは利益率にも影響を与えます。つまり、重要な経営課題です。世の中の要請や収益率を考えて人を減らして業務を増やす。そうやって従業員を酷使していく。バランスを崩せば休ませるけれど、その補充等はしないで周りの人は大変になる。それは、心身のバランスを崩した人にも、その周りにも影響を与える。

 

 しかし、そもそもは働くことで従業員が心身のバランスを崩さないようにするのが経営だと思う。

 

 大学の授業で、日本の産業界のこの認識を学び愕然とした。このリスクを考えることができる経営者はどれくらいいるのだろう。はなはだ疑問です。

 

 学歴社会から、会社の中ではスケープゴートに当たる層のように感じていました。いい思いをする人が多い分、残念な思いをし続けて支える人がいる。

 

 人はそれぞれその人としての強みがある。学歴や性別は関係ない。ダイバーシティーだ、女性活用だいうけれど、世の中の流れだったり、世の中から批判されない程度に最低限対応する。そんな世界。これは、お給料をもらうために最低限仕事をしようと思う社員と同じ理屈だと思う。

 

 だから私もそんな風に会社と付き合っていい。その自分を受け入れて、一生懸命にならなくていい。それが今の私に贈る言葉です。


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