大学で学び得た知識、心理学においても、一つの事象に複数の見方があったり、同じ流れの中でも、掘り下げると見方が異なったり、いろいろな見方がある。それはどちらが正しい、正しくないではない。
最近何が吹っ切れて一つ上のステージに上がれたような、違う世界が見え始めた。と感じる中で、私は周りが見えていなかったなぁと感じました。
頑張りすぎていたころの私は仕事に関しては何でも「どうにかしよう」としていました。周りと意見が異なる場合、自分の考えを説得し相手に納得させようとしたり、相手に了承してもらえないなら、上司やその上の上司と掛け合ったり、とにかく自分が思う内容を達成するためにどうにかしようしていたように思います。
定年を65歳に延長することは前から決まっていたけれど、つい最近になり、年金の納付期間は65歳まで延長されることになりました。60歳からもらえる予定だった年金も、65歳からになり、70歳からもらうと利率が上がる。というように後出しじゃんけんのように、受給者としてはもらえる金額が少なくなるように変動していっています。
これはその期間働いている人たちに問題があったのでしょうかその人たちの努力が足りないからこうなったのでしょうか。誰もそのようには考えないと思います。日本の社会がこのような社会だということです。これは自分では変えられない。私だけ60歳から年金をもらう等、個人が選択できるものではありません。
ここまで書くと政治家を批判しているように聞こえるかもしれません。私は政治家を批判したいわけではありません。
言いたいことは、逆らっても、坑がっても、抵抗しても変わらないことは世の中にたくさんあるということ。また、そのような世の中も、その時々の権力者の判断で、いまがあるということ。です。
「長い物には巻かれろ」といいます。巻かれたくなくても、巻かれないとやっていられないこともあります。その時の権力者に「巻かれる人」と「巻かれない人」では、「巻かれる人」が重用されたりします。権力者は自分にとって不都合なことを言う人よりも、自分にとって都合の良い人を重用するのです。
今はそれがわかるようになりました。それがわかった上で、「巻かれたふり」をしてもいい「巻かれて」もいいと思います。ただ、自分が生きていくために大事にしていることや自分が大切にしたい事を差し置いてまで「巻かれる」必要はない。
一生懸命なばかりで周りが見えていませんでした。やっとこういうことがわかるようになり、うまく割り切り「巻かれる」ふりをしていたら、生きるのが楽になるようにも思います。この調子で行こうと思います。