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やりすぎは、相手の学習機会を奪う

 先日ネットで「やりすぎは、相手の学習機会を奪うと言う」記事を読みました。読み進めていくと、例えばの事例でこんなことが書いてありました。

 

 人が良くてややおせっかいな人がいるとします。その人が後輩に仕事を振るときに、仕事の中身の説明をするのではなく、これをこうしてああしてやっておいたからその後をお願いします。というもの。つまり、肝要なところは自分がやって相手に渡す。と言う事例が載っていました。

 

 この事例が何を表しているかと言うと、先輩が後輩の学習、成長の機会を奪ってしまったかもしれないということです。命題から伝えられた後輩は、命題をどのようにするか考えて実行することで学習をします。ですが、先輩が気をきかせて、「やっておいたよー」と受け渡すと後輩は考えないで終わってしまいます。

 

 先日仲の良い同僚が私に状況を共有してくれるときに、こうしたら良いという案も添えてきてくれました。

 

 これを見てこの言葉の意味が分かりました。大体考えていることを実行する策は、これだけ社会人経験が長くなると同じようなことを考えます。

 

 その中でどこにポイントを置くかと言う肝となる部点はそのことに対する経験や知見で異なることもあります。同僚は私よりもその仕事を長くやっているので、気を利かせて指し示してくれたのかもしれません。真の意図は同僚にしかわかりませんが、総じて善意の行動と思います。

 

 私はそれに沿うことにしました。今は割り切ってこうしたいというような思いもありません。ですが、ふと、私に対して指し示してあげないとと思ったのであれば、残念に思いました。また、任されてないなとも感じました。

 

 ここから感じた事は、やりすぎると言う事は良くないということです。やりすぎた人は今後頼られます。手を抜きたい人からはより頼られます。そして本来、その仕事をやる人はやりすぎた人にが判断したことを考えなくなります。その人にとってもそれは良くありません。

 

 この同僚そのことに気づくでしょうか。私はおそらく気がつかないないと思います。その同僚はそうやって気が効いたり、間に入ることが自分に求められていること。同僚の価値観でそれが必要だと思っているからです。

 

 それはそれで素晴らしいのですが、チームワークとも違うと思います。善意のやりすぎは、実は周りの為に自分を減らして、他人に利用されてしまうこともある。

 

 私は同僚には感謝の気持ちを伝えました。そしてそのやり方から習うことで省力化しようと思います。