今を大切に生きる

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残念でならない


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 昨年秋期に放映されたドラマ「セクシー田中さん」。同名の漫画を原作としたドラマです。原作の漫画をかかれた芦原妃名子さんがお亡くなりになられた。

 

 私はセクシー田中さんの9話から10話をみました。親愛なるブロ友さまの1人が教えてくださった番組です。それまでも興味がありましたが見れずにいました。

 

 最終回目前にTverで見たドラマ。自己肯定感の低い女性、主人公の田中さんが自分のやりたいこと、ベリーダンスをみつけ新たなことにチャレンジしながら自分を受容していく。田中さんを取り巻く人たちも、田中さんに刺激され、自分の気持ちに気づいていく。

 

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 華やかなベリーダンスと対照的に、田中さんの内面は暗かったり、辛かったり。他人の目をするとても繊細で強い女性。田中さんを演じた木南さんは丁寧に演じていらっしゃいました。

 

 お正月のころTverで1〜3話が放送されており少し見ました。1.2は見ました。登場人物が恋愛関係にキラキラというか、華やかというか、陽というかポップな表の面に焦点が当たっていて、この話がどうやって最終話にたどり着くのだろうと違和感を感じ視聴をやめました。この違和感は芦原さんのSNSでの発信をみて腑に落ちました。

 

 芦原さんは原作に忠実に再現することをドラマ化の条件としていたようです。なのに、違和感があった。9.10話はご自身で脚本を書かれたといいます。

 

 これは脚本家を批判したものではなかったと思います。脚本家は原作を見て、視聴者に受け入れられやすくなるようにアレンジをしたのだとおもういます。ですが、それは芦原さんが大切にしている原作に込めた思いとは異なっていたのでしょう。この状況でドラマ化し、放映に至ったことに問題があると私は考えます。

 

 「さくらさくら」という日本で誰もが知っている歌曲があります。「さくらさくら」がつくられたころも作詞、作曲、編曲があったと思います。漫画で言えば作詞、作曲は原作、編曲は脚本になりましょうか。

 

 「さくらさくら」を三味線やお琴でアレンジするのと、エレキギターとベースでロック風にレンジするのではその世界観が大きく異なります。「さくらさくら」の原作者が、しっとりとした和の雅の世界を表したいと考えていたならば、ロックな「さくらさくら」、激しく命が躍るような表現になっていたら伝わるものが全く異なります。

 

 芦原さんはとても繊細な方だと私は感じました。自分の作品の世界観を忠実に伝えたかった。「セクシー田中さん」は芦原さんご自身の一部、その一部を歪んで理解されることは相当に苦しく、お辛かったと思います。そして、自分の発言の反響に色々なことを繊細かな感じられたのだと思います。

 

 あってはならないことがおきてしまいました。残念でならない。芦原さんが亡き今、関わった人たちは今芦原さんが原作に忠実なドラマかを条件としたこと、自ら脚本をかいたことをどのように捉えているのでしょうか。

 

 私は原作の漫画も芦原さんのお人柄も知りません。こん会のことから壮絶な悲しみ、苦しみを感じました。

 

芦原さんのご冥福を心よりお祈りいたします。


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