今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

他人を許す③


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 先週末大学の卒業研究の打ち上げがあり、怒りを持った2人を許そうと思ったことを書いています。その中の一人のことを①②で書きました。

 

 その人とリアルであったのは久しぶり、人生の中で大きな困難を抱えていて、その人の人生を、その人らしく生きるために、コントロールしながら頑張っていると感じました。頼られることは不安だったけど、それは私を馬鹿にしているからではない。頼られたことに対して、返す範囲は自分で決めればいいのではないかということを書きました。

pleasantbreeze.hatenablog.com

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 今日は、もう1人怒りを感じた人のことを書きます。それは先生でした。

 

 先生の指導方針は、「自分の頭で考えろ。自分で調べろ。学生同士話し合うのが一番勉強になる」というもの。確かにそうです。その通りです。ですが、それであれば、学生が任意で学習会をすればよいわけです。

 

 先生のもと指導を受けたいわけで、その指導は、手取り足取り教えてほしいというものではありません。科学的な文書とはどういうものか、心理学の論文とはどういうものなのか、体裁やルールについてティーチィングをしてほしかったのです。

 

 誰かが質問すると、先生は最低限のことは話します。ですが、それは、卒業論文全体を10とすると、例えば、そのうちの2という1項目の中の3番めの項目といったような、ピンポイントの内容です。1~10をどのように考えるのか等もっと大きな視点で教えてもらいたかったのです。

 

 先生に怒りを感じたことは指導方針、放任が過ぎていたこともありますがもう一つは返信についてです。この先生、返信をしないのです。返信がなされないのは、私だけではありません。みんなにです。一部タイミング良く返信された人もいますし、そうでない人もいます。一切しないならいいのですが、一部にする、一部にしないといいうのも、適切ではないと私は思います。

 

 私は初めてもらった返信が、勘違いを含む内容でした。背景はさておき、宿題を出しておきながらその返信は何だというもので、大きくモチベーションが下がりました。

 

 学校から連絡手段としてメールを指定されています。学生からすれば、返信がないことにより、メッセージが受信されているか、受信されたものを見ているか見ていないかがわかりません。学生は、不安・不満が残ります。こういうこともあるのでしょう、この先生、学生から好かれていないようです。(④につづく)


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