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他人を許す①


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 昨日、「他人を許す」と、感じたことがありました。

 

 昨夜は満月の日でした。9月の満月の日には、通信制大学で仲の良い友人と二人で食事に行き、いろいろな話をしまして打ち解けあいました。その時も多くの気づきがありました。

 

 昨夜も満月の日でした。昨夜は卒業研究をともに学んだ仲間と先生と打ち上げでした。

 

 集まったメンバーのうち2人に対して、私は怒りを感じていました。その中の一人には、何となく会いたくないとまで思っていました。ですが、参加後、そのどちらに対しても「許そう」と思ったのです。今日はそのうちの一人のことを書きます。

 

 一人は、私を射ように頼り、甘えてきた人でした。悪く言えば、自分の手足として(そのつもりはなかったのかもしれないけれど)、利用しように感じる人でした。

 

 その人へは途中から明確に線を引いていました。共通の知人からは、私の態度が変わったことに何かしらを感じているようだといわれました。そうでしょう。私はその人への対応を変えました。

 

 前は可能な限り丁寧に対応していたけれど、今は、楽して頼ろうとしていると私が感じることには、曖昧な返事をしてきました。(私の基準で答えることと答えないことを決めていました)

 

 zoomでは顔を合わせていましたが、実際に顔を合わせたのは、10ヶ月ぶり位前でした。会の最中、私と話したかったようで、呼ばれました。私が持っている話題に興味があるからなのですけれど、一生懸命話を聴こうとしていました。

 

 また、もう頼れないとわかっているのか、嫌われていると思っているのか、頼られることはありませんでした。少し意地悪な言い方をすれば、私以外の人が、その人が思うように動いてくれている状態ということもあったのかもしれません。もう、卒業だから、この先は接点を持とうとしない限り、接点がないと思います。

 

 昨夜本人に会わずにいたら、私はその人に怒りをかんじたまま、いつか怒りを忘れる。そんな風だったかもしれません。ですが、この人を許そうと思いました。その理由は2つあるように感じます。

 

 1つ目は、その人自身が大変な状況であること。その大変さ加減は、人生を生きることの困難度を1~10とし、10をマックスとするならば、7以上の困難さです。私はその人が7以上の困難さであることは知っていました。ですが、その7以上の困難さを実際に会って、話して感じました。

 

 その人は、その人の人生を、その人らしく生きるために、コントロールしながら頑張っていると感じたのです。(②につづく)

 


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