流されないけど流れに抗わない。②では、心身のバランスを崩す前までの私は、やりたい仕事や楽しい仕事をするには、それなりに努力をして、仕事を最優先に努力をしなければいけない。と考えていたことを書きました。
これまで仕事を引き継いだ人たちの中には、私と同じ考え方の人もいました。そうでない人もいました。良い意味でしなやかにかわす人もいれば、虎の威を借り、絶対的な権力を縦に女王であり続けようとする人、そして、人生のタイミングで、仕事よりも育児を優先する働き方をする人もいました。
女性の育児による時短の場合、その時短で働くことにだれも異論はありません。問題は、この時短や休んでいる間は、人員の補充がないのです。この時短の部分は、契約社員の方や一緒に働く人がフォローしています。その状況なのに、実際に評価されたり、活躍の機会を優先的に与えるのは、子育て中の人だったりします。
会社は女性活躍の場を与えていることをアピールしたいから。契約社員の方は、どれだけ貢献していたとしても、その立場であるがばかりに、契約終了となって会社を去る人がいます。
話は戻ります。やりたい仕事や楽しい仕事をするには、それなりに努力をして、仕事を最優先に努力をしなければいけないというのは、思い込みだったのかもしれません。
私は、やりたいことを、最優先に全力で取組むという価値観を持っている人間なのだと思います。そして今はやりたいことが仕事ではないし、その仕事で、他人から評価を得ることではなく、自分がやりたいことにその力を向けようとしています。これが今のありのままの自分です。
私は自分の存在意義や喜びみたいなものを、仕事の中で、「やりたいことを、最優先に全力で取組む」そして、「私はダメじゃない」と他人からの評価を得ることで、叶えようとしていたのだと思います。他人の指標で自分を測ろうとしていたのだと思います。
今振り返ると、それは、とっても、とってもハードルが高い。目標を高く持つのはいいことですが、他人の基準で自分を測ろうとしていたなんて、いまさらながら、すごい「勘違い」。自らを大変な状況に追い込んでいたことがわかるようになりました。
ここまでわかるようになっただけで、この呪縛からの卒業は近い。しかし、長年、自分の信念に近かったであろうことからシフトチェンジする中で、ひょこっと顔を出してきているのだと思います。ひょこっと顔を出してくるものに苦しむけれど、もうそこには戻る気は全くない。アレルギーのように反応して、身体からも違うと気づかせてもらえています。
今業務分担で自分の責任以上のことを言われれば、NOともいうし、無理やりそれを変えよう、自分の思うように変更しようとは思わない。以前であれば、どうにか自分の思うようにしていったと思いますが、それはする気がない。もう前と同じような考えを持っているわけではないからです。
前に求めていた評価が欲しいかといえばもう欲しくない。私が本当に欲しかったのは、私はダメではないということ。それを今自分でダメではないと思えるから、もう他人に評価してもらう必要はない。そして、この会社との付き合い方を変えることが選択肢ということもわかる。だから、流されないけど、流れに抗わない。