今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

自分本位になってきたような気がします①


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 最近良くも悪くも自分本位になってきたような気がします。

 

 良い面として感じることは、仕事においても、「与えられた仕事を時間の中でやる以上のことは自分を優先する」ようになりました。わかりやすく言えば、仕事が終わらなかったとしても帰っています。心身のバランスを崩す前であれば、今やった方が後が楽なことは残業してやっていました。ですが今は、それはしません。時間の中でできることを中心に考えています。

 

 加えて、「役割以外のことも自分を優先する」ようになりました。自分ができることであっても、他人のためにやらないことを選択する。手を貸す、手伝う、関わる前に一線を引き、「必要だったら声をかけてください」と伝えてます。

 

 「必要であれば声をかけて」と伝えて、実際に声をかけられるのはどれくらいだと思いますか。私の感覚では2〜3割程度です。

 

 そうしていると、いかに他人のためにやっていたことが多かったことか。やらなくても良かったことがたくさんあったことに気がつきます。

 

  自分にしかできない、自分に必要なこと、例えば、自分を守ること、疲れすぎないこと、食べること、寝ること等を、他人のために、仕事のために後回しにしてきたことが多かったこともわかりました。

 

 今では余計だったと思うこともたくさんあります。

 

 自分が「良かれ」と思ってやったことも、会社としては評価者の意にそぐわなければ、評価されないという点で余計なことでもあります。

 

 少し飛躍した例です。お昼休み返上して働いている人に「お昼食べないの?」と声をかけるのも、実は余計なお世話でした。本人が、昼休み返上で仕事をすることを選択しているのですから。

 

 1年に数回そういうこともあるでしょう。そういうケースは別として、慢性的にお昼休みに仕事をしている人もいます。職場からコンビニに出かけておにぎりを買って食べる、15分あればできます。その時間を毎日とれないくらいのなら、業務分担がおかしい。結局は本人が昼休みに仕事をすることを選んでいるのだと思います。また、お昼休みたいのに休めないと思っているなら自己犠牲です。

 

 お昼休み返上で働く人に、代わりにコンビニに買いに行ってあげたいと思いました。心身のバランスを崩す前の自分であればそのように声を掛けていたとおもいます。ですが、それこそ余計なお世話です。

 

 私は他人のことを、自分のことのように考えていた。その人のためにできることや、その人がやりやすくなることは手を貸すということを当たり前のように恒常的にやってきたのだと思います。

 

 他人が困っている、大変そうということに気づいてしまうから声をかける。「よく気がつくね」と言われることを褒め言葉だと思っていた時もありました。

 

 そして、他人も自分と同じように、自分に対して自分が困っている、大変なときには、同様にサポートや気配りをしてくれることを望む、それがあたりまえなのだろうと思っていました。

 

 なので、それが極端にないときは、自分は大切に扱われていないとか、バカにされていると感じることもあったと思います。

 

 ですが、わかったこと。相手が自分と同じように、周りの人のことを自分ごととして捉えているかというとそうではない。相手が自分が相手にしてあげようと思うことを期待しているかというとそうではないのです。(②につづく)


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