2022年年始に「自分がありたい方向性」を定めました。それは、「働くために生きている」から「自分の人生を生きる」こと。
シフトチェンジに向けて「私(プライベート)・個(個人)」で「自分の人生を生きる」ために心がけたいことを22個掲げました。
今日はその14回目は「やりたくないことをやめる」(3月30日)の振り返りです。
こんなことを書いていました。
先日友人から「話したい、連絡してもいい?」というラインが入りました。2時間ほどお話をしました。
友人はいわゆるナンバー2、ナンバー1はワンマン、自己中、自分の利得しか考えない人。経営者としての才覚、嗅覚はあるのかもしれませんが、マネジメントはできない。
その友人が「限界を迎えた」といいました。友人も私も、数年以上前から限界に近いと感じていました。それでも友人は「今は自分が抜けると大変だから」とずっと頑張り続けてきました。
お互いにいろいろと話していく中で「私たちって本当に真面目で責任感があるね。受け流したり、逃げてもいいのにね」と共感しあいました。
友人も私も、その仕事を通じての社会的役割や意義、お客さまのために、純粋に仕事の目的を果たそうと、自分のカタチを変えて、無理をして頑張って続けてきたのだと感じました。
自分が変えられない他人の至らないところを、間に入り調整、解決をする。その動きがあるからこそ連結され成り立っているのです。そこに感謝の意やねぎらいが伴えばまだ報われます。
友人と「自分と同じ状況の人から相談を受けたら、こういうというのはわかっているのだけれど、自分のことだとわからなくなるんだよね」、「そうそう、わかんなくなるね」と笑いあいました。
ここからは振り返りです。
このあと友人は仕事を長期で休んだのちに退職しました。休みはバランスを崩したこともありますが、ずっと取得したかった資格を休みの間に勉強したい。という気持ちもありました。友人の念願は叶い合格し、仕事を辞める決断ができたようです。
本当に悩んでいるとき、ただ話を聴いてほしい。もしくは、ヒントになることをいってほしい。その時の状況、ひとによって考えが異なると思います。
友人はただただ、私に話を聴いてほしい。また、私から情報を得たかったようでした。
私からすると、友人が情報として得たい内容は、負担に感じるものもありました。また、友人の痛みがわかる分、ずっと心配し続けていました。辛いときは言いたくても言えないことがある。それもわかるので、「どうした?」と聞きたい気持ちは抑えていました。
途中から自分が必要以上に友人を心配していること、そのことで疲れていることに気がつきました。それからも連絡は来ても、友人は何も言いません。
以前の自分であれば、自分がつかれる話でも聴くことが親切だと思っていましたが、今はそう思わなくなりました。やりたくないことではないけれど、大事な友人であれ、自分よりも他人を優先しなくなったのは一つの成長だと感じました。
仕事においても、やりたくないこと、全体を考えて、他人がやらないこと(なのかできないことなのか)に手を出す、つまり自分の役割以上に何かをしようとすると疲れるし、残念な気持ちになります。他人がやらないことのために自分を削る。それはもっともやりたくないことです。今は途中まで手を出したことの手を引いて様子を見ています。
<やりたくないことを辞める~2022年に心がけること22⑭〜>
自己評価 5段階
達成度 ☆☆☆☆
浸透度 ☆☆☆
まだ意識する必要がありますが1年前と比べたら大きく進化しました。