今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

もう羨ましくないし、劣等も感じない。

 友人が数年前にマンションを購入しました。以前からお招きを受けていましたが、コロナもあり、また日にちも合いませんでしたが、数カ月前に訪ねました。そのときのはなしです。

 

 友人は同期です。学歴が異なるので、お給料が全然異なります。総合職ではありますが、学歴により、運用が違います。実際にしている仕事として、友人から、また多くの大卒の人から仕事を引き継いだことがあります。仕事内容と挙げた成果に大きな差があるとは思えませんが、給料は違うのです。

 

 以前その友人は賃貸に住んでいました。利便性の高い地にすみ、家賃も私より大きく高いものでした。それはその給料だったら住めるよねと羨ましく思いました。そこで私も頑張れば上に上がれるかもしれない。そう思い頑張りましたけれど、その願いが叶うことはありませんでした。

 

 友人は賃貸の時よりも、立地条件の良い場所にマンションを買いました。それも羨ましく思いました。不動産を持つ、持たないの価値観は人それぞれ。私は不動産をもつことに強い希望があるわけではありませんが、自分の収入では、友人が購入した物件には手が届かないことから羨ましく思う気持ちがありました。

 

 そういう気持ちを持っているので、その友人の家をみたら、劣等感を感じるのではないかと思っていました。友人として新居をお祝いして差し上げたくない気持ちと、差を見せつけられたくない、そんな気持ちがありました。

 

 友人から誘いを受けて、友人の状況からそろそろ行かないと思いました。日にちが決まりいってきました。

 

 お部屋を見て、楽しくお話しし、帰途につきました。その帰りに気づきました。私はもう羨ましいと思わない。むしろ、自分が今住む家、場所の方がいいと。

 

 立地条件でいえば、彼女が住む家の方が地価も高く、駅からも近い。部屋の広さも大きい。ですが、私がそこを仮に今の家賃等同じ条件で借りれるとしたら、私は借りない。今私が住む家の立地、家の近くの商業施設や勤務先空の距離、周辺環境の方が好ましい。また、間取りも狭いけれど今の家の間取りや設備は暮らしやすい。私が私を生きるにあたって快適な住空間です。

 

 そうです。私は、給料や立地等、外から見えることではなく、自分の内面で自分が満足にしていることを判断の基準としている。だから、羨ましくない。もう囚われていないのです。それを感じることができました。

 

 私は私の人生を心地よく生きる。そしてそのために必要なお金を稼ぐ。そして、私には自分の人生を生きていく力がある。それが大切。