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流れに逆らっていたのは私でした


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現在関与している業務(以前関与していたことに助言者として関与)に関して、私が「流れに逆らっていた」ことに気がつきました。

 

 私はこの仕事をする上で「私の知見、経験が必要」だと思っていました。ですが、仕事を覚えるフェイズの人は「私を必要だと思っていない」と感じたのです。自分が正しいと思っている人に、何かをしたり、フォロー、アドバイスをすること自体が不要でした。私自身が「流れに逆らっていた」のです。

 

 ここで言いたいのは、私が「私がいないと大変なことになる」「私の知見が必要だ」と思い込んでいいること、この気持ちからくる私の言動が「流れに逆らっていた」ということです。

 

 とある課題が発生しました。その課題は重要度も高く、影響範囲は広い。ある程度先まで見据えたうえで、今どのように対処するか。また、影響を最小限にするには、用意周到に準備を詰めていく必要があります。私自身がこれは仕事を覚えるフェイズの人には難しいだろうと感じ、上司に「この課題は私が進めることでよいか」確認し、私が第一フェイズを始めたところでした。

 

 ミーティングの中で課題の洗い出しをしながら論点を絞っていっていると何を思ったのか仕事を覚えるフェイズの人が「話をまとめると○○、○○でいいですね?」といい始めました。その発言自体、問題が分かっていないものでした。「結果○○かもしれないけれど、△△という理屈が必要」ということが重要。意図が分からずにいつもの通り表面をさらってまとめようとしました。

 

 上司からこの件は私がやるということを聞いていなく、仕事を覚えるフェイズの人は自分がやらなければと口をはさんできたのかもしれません。ですが、いろいろな意味で、私が出る幕はなかったのだと感じました。

 

 私に限らず、自分が正しいと思っている人(と私は感じます)に窓口をさせることは上司が決めたこと。本人はそれをやろうとしている。それが「流れ」、対して私は自分の知見が必要、私がいないと困ると考えている。それが「流れに逆らっていた」のです。

 

 私が「私がいることに意味がある」と思っているからこうなるのです。私がいることで、成果が上がらないことを不安に思ったり、のちに面倒な段階でフォローをさせられるのが嫌だと思っているのです。ですが、最初から私に責任はありませんがそれなりの成果がでることを私が受け入れる。そうやって離れていくことです。

 

 自分が一生懸命やってきた仕事、周りと信頼関係を気づいてきた仕事がうまくいかない可能性があるのを見ていることは残念なことです。ですがそれも思い込み。人それぞれのやり方は異なるのだから、その結果をその人が受ければいい。

 

 いつも同じようなことを書いていますが、最初のころに比べると気持ちの上で離れてこれました。私は今自分にとって大切な気づきを得ているのだと思います。私が変わり、私が心地よく働くために必要な気づきなのです。

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