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リーダーシップ⑤


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大学の授業で学んだリーダシップについて、学びと気づきを書いています。

 

5回目は、大学で学んだことと健康社会学河合薫さんの記事をから、得た気づきを記載していきます。

pleasantbreeze.hatenablog.com

 

<得た気づき>

  1. 会社等が求める人材像やリーダー像(他人軸)で自分を評価し、自分は足りないと感じていたこと
  2. 自分の信念を信じようとして、世の中の理不尽を理解できなかったこと
  3. 自分の良さを活かす方向性が異なっていたこと

  

1.会社が求める人材像やリーダー像等(他人軸)で自分を評価し、自分は足りないと感じていたこと

 

 私は会社が求める人材像に達することができれば、昇進できると信じていました。そのような考え方の私は、私から見て、会社が求める人材像やリーダー像を満たしていない人がリーダーであることに大きな不満がありました。

 

 私は丁寧に責任感を持って仕事をしてきました。仕事を大事に思う気持ちがあるから。過去には上司の見識が誤っていれば、その理由を数字等で証明して、上司に説明をしたこともありました。

 

 上司を責める気持ちというよりも、方向性が危ういと思ったからです。その時の上司は、その説明を理解していませんでした。理解したくないのか、理解する能力がないのかは今でもわかりません。

 

 一つ言えるのは私が説明したことは上司にとっては「都合が悪い事実」であり、それを言われてもということだったろうとは推察します。その行為は徒労に終わりました。徒労に終わるどころか、私自身が心身のバランスを崩す方向に向かっていきました。(私にとってマイナスに作用しました)

 

 昇進という点で、そもそも私は昇進するレールとは別のレールにいます。別のレールにある人が、上司に立てついていたら、評価されるわけもないですよね。

 

 それでも私は、「頑張れば認められる」、「能力があれば、求めるものに合致していれば認められる」私の信念のようなものです。それは認められたいという自分を叶えるために、そのための努力は惜しまなかった。

 

 私に欠けていたのは「世の中、会社というものはそういうもの」だということが理解できていなかった。ある程度は理解していたけれど、腹落ちしていなかった。「やればできる」と信じていました。

 

 実際に自分ができていなかったのかというと、そうではなかったと思います。一緒に仕事をする人たちとの信頼関係もできていたし、難題も解決できたし、私自身は自分の持つ能力を仕事というフィルターを通じて活かすことはできていたと思います。

 

 多分それは、その仕事をした者同士「仕事がやりやすかった」等に答えがあります。それなのに自分の思うような評価が得られないことに戸惑いがありました。

 

 私が望む評価を得られなかったことは私が足りないからではない。私が足りていようが足りていなおうが、私の望む評価は得られない。

 

 河合さんの分析の通り、責任案や几帳面さを早期に手放していたら、評価には通じない忠誠心や明るさをかなえようと努力しなければ、評価を得られるという点では成功したのかもしれません。

 

 私が足りないと他人軸に沿う人間になろうと努力を続けたこと。努力を向ける先が異なっていたのだと思います。

(⑥につづく)

 


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