2022年年始に「自分がありたい方向性」を定めました。それは、「働くために生きている」から「自分の人生を生きる」こと。
シフトチェンジに向けて「私(プライベート)・個(個人)」で「自分の人生を生きる」ために心がけたいことを22個掲げました。
今日はその11回目は「自分に正直になる」(3月25日)です。
こんなことを書いていました。
4月からの業務について、2月に上司に自分の感情を正直に話しました。3月も終わりに近づき、やっと上司が長年携わっていた仕事から離れることを了解してくれました。そしてどのような仕事をするか、一緒に考えてくれました。
いくつかあがったうち、最も適性がある業務に関し上司から、「適性はあるしうまくいくと自分も思うけれど具体的に○○が懸念(外的要因)される。だからやめた方がいいと自分は考えている」と言われました。
その発言は、その上司としては、珍しい視点、人間同士の視点でした。私が感情を正直に話したことに対して、上司も感情を正直に話してくれたように思いました。私が上司を信頼して感情を話した気持ちを受け取ってくれたように感じました。
それを聞いて、上司がちゃんと考えてくれていました。その上司は口下手だっただけかもしれません。私が悪い面しか見ていない、その見方が固定観念になっていたのだと思います。
今までの私は、ハリセンボンのようなとげを出して「私は強い」と奮い立たしていました。私が弱い自分、ダメな自分も受け入れて、正直に話せたことがとても良かったと感じました。
ここからは振り返りです。
両親に「仕事を辞めたい」と話し、言われた父の感情に対して私は自分の気持ちを言うことはできませんでした。上司に、ありのままの弱い、当時ダメだと感じる(今はダメというよりその時のありのままの状態の)自分を受け入れて、正直に話せたことがよかったと感じています。
ハリセンボンのようなとげを出して、相手が期待するであろう像に、また、相手が自分を「認めていない」と思い込んで、「私は足りなくありません」、「足りないことを証明するような言動」をしなかった。
それでも周りは受け入れてくれた。会社として私に対して、そうしなければいけなかった面もあると思うけれど、周りの人が明らかに嫌な態度をしたり、咎められるような目にはあいませんでした。私はその状況を心から感謝しました。
この時と今を比べると、今の方が安定し、周りが見え始めました。誰かが私に攻撃をしたりということはありません。ですが、今頑張らない自分が「足りないと思われているんじゃないか」、「意地悪をされるんじゃないか」と気にしている部分もあります。私が私に対してそう思っているからこう思う。頭ではわかっています。
気にしたところで、その環境に自分から適合しようと、頑張ることをしようとは思わないから、行動もしない。これからはその先へ、そういうことを気にしなくなりたいと思う毎日です。
<自分に正直になる~2022年に心がけること22⑪〜>
自己評価 5段階
達成度 ☆☆☆☆
浸透度 ☆☆☆
一歩ずつ進んで行きたいたことの一つです。