今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

過去のわたしがくれた大切な気づき


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 昨日ブログ2周年、3年目突入を迎え、気がついたこと。自分軸ができつつあるけれど、その前段として、他人の反応や自分に言われたことがベースにあり、そのベースの上で自分がどうしたいかを考えていることに気がつきました。

 

 これは私の考え方の癖なのだと思う。とてもよく言えば、現実の中で最適解をみつけようとしているけれど、他人の反応や自分に言われたことがベースとなっている限り、自分がどうしたいかではないのです。真の意味で自分がどうしたいかは、他人の反応や自分に言われたことは刺激にはなれど、ベースではありません。

 

 真の意味で自分がどうしたいかと、他人の反応や言われたことが異なるから、苦しいのです。

 

 例えば、上司がAさんに「あいつはダメだ。」という評価をしたとします。しかし、上司はそう思っているだけで、Aさんは自分をダメだとは思っていません。また、周りの人もAさんをダメだと思っていません。

 

 Aさんがわたしと同じ考え方ならば、「上司は自分をダメだと思っている。自分は自分のことをダメだとは思っていないけれど、ダメだと思われているのだから、そこをスタートにどうしたいか、どうするかを考える。上司にダメと言われたことが、相手の価値観が自分の評価と考えてしまい、自分はダメ」という位置づけになってしまう。

 

 これでは、上司の思うつぼ。上司が思う通りAさんはダメなところからスタートしてしまいます。

 

 Aさんが上司がなんて言おうと「自分はダメでない」と考えていたらどうでしょう。

 

 Aさんは、「上司は自分をダメだと思っているけれど、自分はダメじゃない。自分の価値は自分で決める。上司が自分をダメだとおもっているだけで、そういう人もいるということだ」と捉えて、上司がなんて言おうと「自分はダメではないのだから、自分がこうしたい、こうありたい」と思えることに向かうだけ。

 

 この受け止め方の差は大きいです。この上司とAさんは、そのとき上司と部下という関係であっただけで、その関係がいつまでも続くわけではありません。一過性の関係です。

 

 この上司がAさんを「傷つけることがわかっていった」と言っているならどうでしょう。悪意を持っていっているのです。

 

 もし、その上司が本当にAさんを思っていたのに、言い方を間違ってしまったならどうでしょう。それは、Aさんが酌量することではありません。その言い方を間違えたことを含めて上司が考えることです。

 

 Aさんは、自分を傷つけてくるような人がどういう思いで言ったかではなく傷ついたこと、もうその上司を信頼できない。という、Aさんが思う気持ちを何より尊重していいのです。

 

 3年目のスタートに、過去のわたしが大切な気づきを与えてくれました。


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