今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

合わないものとさようならをする


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 先日迎えた春分の前に、今の自分と合わないものとさようならをしました。

 

 合わなくなったと感じるものと接することで、なんとなく、気持ちが疲れるとまでいかなくても、こころの平面が逆立つような、ささくれるような気がしてはぁという感じでした。

 

 その考え方や許容範囲は人それぞれだと思います。社会で共存していきているのだから、ある程度受容しながら、受け流していくことが大切だと思います。

 

 上記のようにあわなくなったと感じるということは、自分が負担だと思うということ。この先、自分がその相手と関わらないことを選択できるのか、関わらないと決めることでどのようなことを考えておく必要があるか。そんなことも考えました。

 

 みんなそれぞれ自分が大切なので、ある程度自分本位で会っていいと思います。ですが、相手に自分本位だなという姿勢が見え、それがわかってくると、その人と交流を持つこと自体が負担になります。我慢とまでいかなくても、選択できる関係において、ささくれるものを持ち続ける必要もありません。

 

 合わないものとさようならをするときに、相手に対して悪いかなと長い時間悩みました。ですが、なんでさようならをしようと考えたか、そう思った原点をおもいだしたときに、このまま自分がささくれた気持ちを持ち続ける必要はないと感じ、思い切ってさようならをしました。自分が選択できる世界から離れたのです。

 

 そうしたら気持ちがスーッと楽になりました。そしてそのように考えたことも忘れて軽くなりました。そして、しばらくしてから、こんなにも楽なんだ。ということに気がつきました。

 

 心地よさを思ったら、相手に気を遣わないでもっと早くさようならをしていればよかったと感じました。

 

 相手の利己的なところを感じるほかにも、お互いの波長があわなくなることもさようならにつながる思います。そのときは、合っていたかもしれないけれど、だんだんと合わなくなってしまう、例えば話題があわなくなる。一緒に居ると疲れる。どちらかが悪いわけでもない。ただただ、合わなくなってしまったのです。

 

 そういう場合は、またご縁があり、その人と波長が同じになれば交流が戻るでしょう。波長が戻らなければ、離れたままかもしれません。ですが、波長が合っていた時の心地よさも残るでしょう。

 

 選択できる関係でさようならをしてみると新しい発見があります。そして、空いた余白に新しい流れが入ってきます。


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