今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

どこで線を引くか


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 3月下旬から先週くらいまで仕事を増やされたことが不本意で、また無茶振りをされたことから、仕事に意識が向き、イライラする日がつづいていました。

 

 気持ちが落ち着いてきました。仕事の上での小山を超え、余裕ができたこともあるとは思います。しかし、1番は、本当は4月にやりたかったことで後回しにしたり、疲れて手をつけられなかったことの焦りもあったようにおもいます。

 

 このような状況だから見えた世界もあります。世の中には表と裏があり、表と裏が一致していることの方が少ないこと。

 

 多くの人は、自分にとってどうかで判断していて、他人や組織のために献身的に頑張る人は利用されやすい。大変なのは、そのことをわからないから、手探りな状態で進めている気の負担もある。

 

 そこから突き詰めて頑張るか、一般的なラインで手を引くかは人や仕事により異なる。多くの人は、そこから突き詰めて頑張ることはしていないように感じます。

 

 仕事の問題が全て解決済みになることはおそらくない。レベルが上がれば、相応の問題が出てくる。レベルが上がるほど、その仕事への思い入れもあり、完璧にやりたいとおもう。いくら時間があっても足りない。どこで線を引くかというのは、仕事に限らず、重要な問題だとおもう。

 

 昨夜は帰宅後、6月に受験する試験の勉強を1時間、英会話の読み上げを結果30分くらい、音声は移動時間のながらで30分くらい実施しました。

 

 これは自分でやろうと思ったことを適度なところで線を引く。それを実践しているとも言えます

 

 就業時間1時間くらい前に、本日の業務に関する打ち合わせを残業時間にすることになった。その仕事、結局体裁だけ整えたくて、中身、軸がない。

 

 失礼ですが、私の上司は、中身がないことを最もらしくいうことが得意でそれは才能だと思います。それで評価されているところもあります。中身はスカスカでも、上の人はわからない。つまり、スカスカでもそんなに困らないのかもしれないような問題なのかもしれないし、要所を抑えられていればそれでいいのかもしれません。

 

 まとまりがあるような無いような話ですが、自分を取り巻く枠組み、環境の中でどうあるかという視点も大切な視点と思います。心身のバランスを崩す前の私は線が弱かった。自分を守る適度な線を見つけたいと思います。


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