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自分本位になってきたような気がします②


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昨日、自分本位になってきたような気がする

 

 私は他人のことを、自分のことのように考えていた。その人のためにできることや、その人がやりやすくなることは手を貸すということを当たり前のように恒常的にやってきたのだと思う。

 

 相手が自分と同じように、周りの人のことを自分ごととして捉えているかというとそうではない。相手が自分が相手にしてあげようと思うことを期待しているかというとそうではないのです。

ということを書きました。

pleasantbreeze.hatenablog.com

 

 それぞれの人がそれぞれの価値観を持って生きている。そして、最終的には自分が大事なのです。それは私も同じなのに、自分よりも他人を優先する傾向があったのです。

 

 他人との関係の中で自分本位になることを肯定できるようになったのは、心身のバランスを崩した後に価値観を変容していきながらわかったことです。

 

 私の言う自分本位とは、他人を利用するという意味ではなく、自分の中の軸を自分に戻してきているという意味です。

 

 悪い意味で自己本位、利己的な人は、以前の私のように他人のために優しい気持ちを持って何かをする人を利用します。

 

 そういう人は、マウントをとってきたり、より都合が良い人間となるような付き合い方をしてきます。少数ですが、こういう人はいます.私はこういう人とは完全に縁を切りました。こういう人は利用価値がなくなると、あっさり離れていきます。

 

 ここまで人を利用する気満々の人は少数ですが、やってくれなくてもすごくこまりはしないけれど、やってもらえるなら助かる。そして、他人に甘えたまま、だんだんとそれが当たり前になり、相手に感謝を述べられない人もいます。

 

 こういう人とは、プライベートで付き合う必要はない。仕事においては表面的に服従して手を抜いてくのがいいのでしょうね。その手を抜くことがだんだんできるようになってきたので、この調子で行きたいと思います。

 

 自分本位になってきたことで、悪い面があります。それは図々しくなってきたことです。

 

 例えば、電車を降りた後、エレベータにのるために、エレベーターに向かって右左から人の流れが合流する時があります。新幹線等でも、降りる駅が近くなると、降りる人は次々と出口に移動し、ドアが開くのを待つ列ができます。そういうとき、出口側に近い人が、通路に出ずに、自席の前立って待っていることがあります。

 

 私は大概は交流してくる人に順番を譲ってきました。譲るといっても1人2人ですけど。そのような対応をしてました。ですが最近はそれもしなくなりました。もちろん、お年寄りや子供づれの方等には譲りますが、デフォルトが譲るから譲らないに変わったのです。

 

 新幹線の駅の構内にある小さな売店も支払いや質問をする人が列になります。先日外人さんが悩んでいてレジに並ぶとも並ばないともいう感じでした。このようなとき、以前であればアイコンタクトで「どうぞ」と譲る姿勢を見せていましたが、その時は電車に乗る時間がギリギリだったこともあり、それもせずに先に会計をしました。その後の外人さんの対応をみると、明らかに私にレジを譲ってくれたようでした。

 

 外人さんごめんなさい。旅行中でしたでしょうに。なんだか悪いなと思いましたが、お詫びとお礼を言ってその場を後にしました。

 

 図々しいと感じること、仕事で発言を求められているとわかっても、わざと無言で意思表示をしないときもあります。

 

 他人を押しのけるとかそういうことではありませんけれど、人が不快にならないようであればこれはこれでいいのかなと思います。


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