今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

やりすぎない


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 私より数年前に入社した先輩が退職を決意しました。一緒に働いたことはなかったけれど、途中からは似た業務を担当していタコとから連携して仕事をすることが何度かありました。

 

 その先輩は私と同じ学歴です。ですが、先輩はわたしよりも役職が上です。会社の中にも、本当に若干数ですが、学歴を問わず昇格を運用する、部下を推薦する方針の人がいて、先輩はその人の部下として働いていました。なので、社歴が若いうちから、わたしよりも職位が上です。そこまで差をつけられるほど、先輩とわたしに能力の差があるかというと、わたしは差があるとは思いません。

 

  こう書くと負け惜しみのように聞こえるかもしれません。その要素も否定はしません。ですが、同じ組織に所属している人たちを横並びでみたときに、人ってそんなに能力の差があるものでしょうか。みんな得意分野不得意分野があります。その得意不得意だけの側面で見たら大きな差があるかもしれないけれど、そんなに能力の差があるなら、同じ組織にはいないと思います。

 

 日本の会社組織は今まで年功序列の考え方でした。能力が?な人もある一定の社会的ラインまでは昇格します。私のようにそのラインに乗らない学歴の人は、年功序列の運用はされません。私は比較的面白い仕事をやりたいようにやる運には恵まれましたが、昇格の運には恵まれませんでした。

 

 退職を決めた先輩が言うには、「もうこれ以上頑張れない」、「今やっている仕事に飽きた。新しいことをする気力もない」とのこと。この言葉とても共感しました。

 

 今やっている仕事、先輩は同じ業務を10年以上担当したそうです。仕事の担当分野、新しい仕事にチャレンジすることもできましたが、その新しい仕事にチャレンジする気力もない。そして、仕事を辞めるという選択ができるのは、将来に対してお金の心配がないということなのでしょう。

 

 客観的にみても、その先輩は数年前の数年間、かなり「頑張り続けた時期」がありました。無責任な上司に丸投げされていたこと、重たい仕事が複数同時並行に進んでいたこと、先輩は当時「自分がよくへこたれないと思う。メンタル強いと思う」と話していました。

 

 今思えば、あのときの先輩は極限に近いくらい踏ん張り続けて頑張っていたと言うことなのだと思います、先輩はメンタル強いと言っていましたが、ご自分を削って働いていたことは心身に刻まれていたのだと思います。

 

 先輩は無責任な上司のことを嫌っていました。それでも、私には悪口らしい悪口を言わずに「頼っても仕方がない」と言っていたこと。そう言わざるを得ないくらい追い詰められていたのかもしれません。

 

 私もかなり頑張り続けた時期がありました。先輩も私もそこまで頑張ったことで、ある限界点を越えて、それまでとは同じ場所に戻ることを選択しなくなったのだと思います。

 

 ときに頑張ることは大事です。ですが、頑張り続けることは決して良いことではないとわたしは思います。自分をすり減らすほど頑張ることは、必ず自分に影響を与えます。

 

 先輩が退職を選択したことを否定しているのではありません。「もう頑張れない」って思うこと自体「頑張ってやってきた」ということの証。わたしが言いたいのは頑張り続けることが良いというわけではない。常に頑張るのではなく、適度な中で、踏ん張りたい時だけ踏ん張る。それが理想的だと感じました。


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