今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

価値観の押し付け


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 「手が足りないから手伝ってほしい」と組織として依頼をされたのに、手伝ったことに対して、「それって効率的でなくない?なんでこちらに頼まないの?」と言われました。

 

 「大変だから手伝ってほしいという話し合いがあり、分担するということになったと聞いています。私も効率的だとは思っていません」といったら、同席しているあちらサイドの人が「そうだった、そういう話しだった」といった。それを聞いても「それって効率的でなくない?なんでこちらに頼まないの?」と聞いた人は謝らない。

 

 その人から見ると、こちらが勝手にやっているように見えたのでしょうね。期待もしていないので、そう考えてるんだと感じ、厚かましいと感じました。

 

 こういう風に言われると以前は自分が責められたように感じ、「私は悪くない」と言い返していました。今は相手が勘違いしている。これくらいの人なんだと感じます。

 

 そういう人たちがやっている仕事なので、整理されずにグダグダになっています。グダグダになっているものを、グダグダに関わり続けるから、グダグダのまま。重要なことなのにグダグダだということに気付かずことが進む。そういうことを仕事とすることはストレスが溜まる。

 

 こういう時、「あの人はこういう仕事をしているんだな」とか「いい加減なんだな」と思う。

 

 以前、とても迷惑を掛けられた人がいた。私はその人のことを良く思っていなかった。それを臨床心理士に話したら、「そういう人は周りの人も大概変な人だと思っているから」といわれた。

 

 ですが、周りを見るとその人を「変な人」扱いをしている人は少ない。私は真に受けカッカと起こっていました。何年か経ち、その「変な人」を知る友人とその話をしたら、「あの子はあのころはひどかった。だけど今は成長した」と話していた。

 

 私の感性が、人を見る目が厳しすぎて、もしかすると自分の基準で人を見すぎて、周りの人の評価と行き違ってしまうのか。それとも、周りの人も同じように感じているけれど、多くの人は「気にしない」、「期待しない」からうまく受け流しているのか。どちらも考えられる。

 

 私がパワハラにあったように、私も、自分の価値観、基準で人を見ていることがあった。もしかしたら、それで人を傷つけたのかもしれない。無論、人を傷つける、貶めることを目的とはしていないが、ミスを厳しく叱責したことはあった。相手に原因があり、当時は指導しなければいけなかったが、相手がなぜそのミスをしたかを理解しようとする気持ちはなかった。それは、自分の価値観の押し付けだったとも思う。

 

 相手が明らかにおかしくても、理解するところまでは努力する。そのうえで、低レベルだったり、パワハラしてくる人に真面目に面と向かって向き合ったら、相手と同じレベルにまで落ちてしまいます。それは自分を下げること、自分も不愉快なので、それはやめたいと思います。


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